大聖堂
大聖堂、と呼ばれている建物へ向かう道すがら、三人は静かな道を警戒しながら歩いていた。
「獣狩りの暴徒もいないですね」
「なんだかんだ、ある程度は片付けてしまいましたからね」
ジェイドはアズールの手を引いて歩きながら答える。フロイドは斧を肩に担いで、辺りに目を向けてから
「それにしても静かすぎね?」
「……まあ、それは」
ジェイドはわずかに眉を寄せてから立ち止まってフロイドと顔を見合わせた。
「……少し、見てきます」
「おっけー」
靴音も鳴るべく立てぬように、ジェイドは事前に調べておいた道をたどって、階段の上の方に目をやった。人の気配はやはりなく、ジェイドは建物の上から偵察するかと、器用に壁から窓を飛び移って屋根の上に飛び乗った。
「さて」
暗いとはいえ、かがり火や街灯の明かりで向かう先の様子はどうにか視認出来るようだった。ジェイドはやはり拾い物の遠めがねでゆっくりと向かう先を見つめて行った。
動き回るような明かりは無く、気のせいなのかと別の方向に目をやると、昨日、というよりは前回の探索で調べた広場の辺りで明かりが確認出来た。
「なるほど。あちらに人が移動してると言う事ですか」
遠めがねをしまって、ジェイドは下に降りてから二人の元に戻り
「前回の探索で暴れた結果、あちらに人が集まっているようです。今のうちにこちらの探索をしてしまいましょう」
「了解-。ってなると、やっぱあいつらまだ辛うじて理性残ってんのかね?」
「どうでしょう。ただ血の匂いに釣られていっただけなのかもしれないですよ」
「ああ、なるほど」
フロイドは、アズールの手を引いて
「じゃ、アズールもなんか気になる物とかあったら言ってよ」
「分かりました」
リュックサックの紐を握って、アズールはこく、と頷いてジェイドの後を付いて歩き出した。
あちこちの家はどうやらまだ人が閉じこもっているのかひっそりとしつつ、時折物音も聞こえてきていた。
「……あの人達は外に出たりするんですか?」
「どうでしょう。今のところ見たことは無いですね。夜は明けませんが、僕達もですがお腹は空きますし、いずれは外に出る事も考えないとでしょうが」
「まあ、その前に家の中で獣にでもなって共食いしてそうだけどねぇ」
「共食い……」
アズールは家の窓の方に目をやり、思わずフロイドの手を両手で掴んだ。
「そういやアズール、教区長って結局なに?」
いくつも続く階段を上りながら、アズールは少し息をあげてそれでもフロイドを見上げ
「僕もあった事は無いです。話を聞いただけというか。初代教区長がこの医療教会を発展させ、現在の体系にしたというのは聞いたことがあります。今の教区長は女性だそうです。医療教会の人間は、本来教区長の配下にいるはずですから、その人が生存者でまともなのであれば、こんな騒ぎになっているのか……」
「ふーん」
「獣狩りの指揮を執っているのも教区長なのですか?」
ジェイドの問いに、アズールは少し考えて
「いや、多分……違うと思う。確かにそういう人も多いですが……。基本的に一般の人ではなく、専門の狩人に任せる物という話だそうなので」
「なるほど。となると、正直教区長がまとも、というのは厳しいかも知れませんね」
「でしょうね。僕もそう思います」
重い鐘の音が突然鳴り響き、アズールは思わず空を見上げ、ジェイドとフロイドは思わず武器を構えて辺りに視線を向けた。鐘の音は街の中に響き渡り、明けない夜のままのその街で何かが変化したことを告げているようだった。
「……二人ともあれを」
アズールは思わず登ってきた階段の下を指さした。瞬くような明かりのちらつきに、思わず二人は呻いた。
「音に異変を感じてこっちに向かってきているようですね」
「えー……やばくね? どうする?」
「大聖堂に入ってやり過ごすしか無いですね」
アズールは見上げた丘の上、そこに続く長い階段に次ぐ階段を見上げてわずかに顔を引きつらせた。
「おやおや、アズール。大丈夫ですか? 負ぶっていきましょうか」
「自分で行けますよ」
馬鹿にするな、とアズールはリュックを背負い直し、歩き出した。
「待った、アズールは真ん中」
「え、あ、はい」
ひょいと抱えられてフロイドの後ろに回されたまま、アズールはフロイドの背中を見上げて眉を上げ、黙りこんだ。
「帰りのことも考えて、体力は温存で」
「ええ、なので疲れたら休憩は取りますよ。後ろの様子は僕が、見ておきます。アズールは僕達では気付けない物も分かるかもしれないので、それに注力してください」
「わかりました」
フロイドは、人が居なそうな場所を探し、どうやってそうなったのか分からない、ひしゃげて拗くれた柵を押し開け、大聖堂に至る階段に出た。物陰にいるかもしれないものを警戒しながら前を進んでいく三人は、たいまつの明かりがまだ下の方にあるのを確認しながら上へと登り続けた。
「はあ、はあ」
アズールは開けた場所にたどり着くと汗を拭い、奥に見える大聖堂と、その前にそびえ立つ大きな門を見上げた。
「開きそうですかね」
見た限りは閉じられたように見える門を見上げて呟くアズールに、フロイドがちょっと見てくると手を振った。軽やかに、柵の格子や門柱に手を掛けて登っていき、彼はアーチ状の紋の一番上にしゃがみ込み、反対側の様子を窺った。そろりと慎重に反対側に降りると、フロイドは門を閉じているレバーを回して門をゆっくりと開けた。かなり響く金属の軋みにジェイドとアズールは辺りに目をやり、急いで空いた隙間から身体をねじ込み、中に入りこんだ。
「音に気付いてこっちに残ってる連中が来たら困るし、ささーっと中入ろう」
「賛成です。アズール、走れますか」
「だ、大丈夫ですよ」
ぜえ、と息を整えたアズールは、顔を上げて街の中央に立つ大聖堂を見上げた。
「僕はここの存在は、話でしか聞いたことがありません。ここは中心に近く、他の地域に行く道もあるとか」
「てか、ここ地図ないよね」
「ええ、人の出入りが少ないからあえて作る必要が無い、らしいですけど……そうなのかは」
アズールはそう言って、聖堂の玄関口である扉の前に立った。扉はかなり大きく、ジェイドとフロイドが左右に立って力を入れて押し開けてどうにか隙間があく重さだった。
中には更に階段があり、うげっと嫌そうな顔をしたフロイドが階段を上り、中断で思わず立ち止まって手で二人を制した。
「……なんか、血の匂い」
「え」
「アズール、僕達の後ろへ。背後から彼らが入ってこないかだけ偶に気をつけてください」
「わ、かりました」
階段の上は見えないが、フロイドに言われたせいなのか、アズールはわずかに鉄さびの、よく慣れ親しんだ匂いがうっすらとしてきたような気がして息を詰めた。
悲鳴、というにはあまりにも悲痛な金切り声が広いホールに木霊し、三人が立っている場所にシャワーのように音が降り注いできた。
思わず耳を塞いだアズールはジェイドとフロイドの身体の隙間から階段を上ったホールの先をそっと覗き込んだ。
鈍い音と、小さな鐘の音が連動して鳴り響いているようだ。
ゴッ、と何かがぶつかる音と、水の滴るような音は何度か響き、ジェイドとフロイドは思わず顔をしかめてその光景を見つめた。思わずアズールの頭を後ろ手に押さえ込もうとしたくらいには、あまり見て気持ちの良い物では無かった。
一人の男、だろう恐らく。
白い服を着た、やけに長い手足の女が両手を振り回しながらその男に近づいていた。その身体に、容赦なく鈍器のような杖を男は振り上げて叩きつけた。
杖の先には小さな鐘が揺れ、それが女を殴る度にカラカラと音が鳴っていた。
女の身体は殴られるたびにバキバキと変な方向に曲がるが、致命傷を受けているはずなのになおも動き、二人が見ている間に顔が長く獣のようになっていった。
男は、手を緩めること無く杖でその頭を殴りつける。頭蓋が割れる音がして、血と臓物が飛び散って、嗚咽のような悲鳴を上げて獣になった女は遂に倒れて動かなくなった。
「……のぞき見とは趣味が良いとは言えないな」
ごつ、と床に杖を打ち付け、男はホールに響くような朗々とした声で話し始めた。
「まだ理性を保っている人間がいるのは驚きだが、それも長くは続くまいよ」
三人は階段を上りきり、辺り一面赤くなったホールと、死体を見つめてから、男へと向き直った。
「何か言いたいことでもあるのか。彼女の願いを私は叶えただけだがね」
「……彼女、教区長ですか」
アズールは死体の方を見つめてそう呟く。男はアズールに視線を向け、険しい顔のまま頷いた。
「そうだ。見ての通り、ほぼ獣になりかけていた。そうなったら、引導を渡して欲しいと頼まれていたのでね」
「あなたはどなたでしょうか。服装は聖職者に見えなくも無いですが」
「それを卿らが言うかね? まあ、人との会話は久しぶりだから少し、話すのも悪くはないか。私はロロ・フランム。病の治療のために来たただの一般人だ。まあ、今は狩人のようなものをしているがね」
「なるほど。それで、獣になった教区長を」
「そんなところだ。一時期は神学を学んでいたからその頃の名残だな。この格好は。そちらは違うようだが」
「そんな事ないって。オレらも一応聖職者だし」
「ええ、まあここでは異端ですけど」
ジェイドとフロイドの言葉に、ロロは眉を寄せたまま肩をすくめた。かれは、二人の背後にいるアズールに目を向けると、ああ、とため息をついた。
「こんな物騒な所に、血の聖女の子を連れてくるのか。感心しないな」
「……僕は別に平気ですよ」
「獣どもはそうは考えないだろう。それに、まだ獣になってはいないが、理性を失った獣狩りもいる。せいぜい気をつけることだ」
こつ、とロロは歩き始め、聖堂の外へと出ようとする。
「僕達はここから出ようと考えています。何やら事情を知っているようですが、情報はありますか」
ジェイドの問いかけに、ロロは立ち止まって首を振る。
「ここから出ることは出来ない。卿らも分かっていると思ったが……。それでも足掻くというなら無駄なことだ。この街の夜はもう明けはしない」
「そんなの、分からないでしょう」
食ってかかるアズールに、ロロは眉をひそめてブツブツと呟いた。
「実験棟にいた卿が分からない筈はないと思ったが……。あるいはあれのせいでおかしくなったか?」
「ごちゃごちゃうるせーな。吊して小突いても良いんだけど?」
一歩前に出たフロイドに、ロロは手を振って
「無駄な争いはするつもりはない。まあ、足掻きたいのであればやればいい。今は隠された街でも探せば何かあるかもしれない。ただ、街はもう普通の状態では無い。捻れて歪み、こうして本来姿を見ることが出来ない連中が顔をつきあわしているのだから」
杖を突きながら外へ出て行くロロを、三人は見送った。
「……何だったわけ、あれ」
「さあ、僕達に敵意を向けてこなかったから様子を見ましたが……」
アズールの方に視線を向けたジェイドとフロイドは、聖堂の奥に向かう彼に気付いて慌てて追いかけた。
「何かお探しで?」
「何か手がかりになりそうなものがあればと思ったんですけど」
アズールはそう言いながらだだっ広いホールの中を歩き回り、ジェイドとフロイドは自分達も探してみるかと聖堂の中を改めて見上げた。
「……にしても、聖堂って言う割に何を祀ってるのかわかんねーな」
「ええ、作りも僕達が知る一般的な教会とは違うようですね。下の方の教会もそうですが……。宗教的なものと、医療が関わっているのもどうも妙です」
普通であれば人魚などのレリーフやガーゴイルの彫像があるものだが、建物の外も中も、奇妙な形の生き物らしいものと、フードを被って祈る人間の彫像やレリーフしかない。十字架が本来あるはずの祭壇に目を向けたジェイドは、思わず眉をひそめた。
それはあまりにもそこにあるのが不自然に見えたのだ。
「……これは、頭蓋骨?」
ろうそくの明かりで照らされた祭壇には、銀のお盆らしきものにかなり大きな、牛のような獣の頭骨が置かれていた。頭に砕かれたような跡から、何となく、ジェイドとフロイドは狩られた獣だろうかと考えた。そんな物がここにあるのはよくわからない。
「……何かありましたか」
部屋の端にあった本棚から取ってきた本を両手に抱え、アズールは二人の側に近づいた。
「これは、獣の頭ですね。一体誰のでしょう」
「随分古いように見えます」
「布とかも随分年季が入ってるよねぇ」
ふっとフロイドはそれを手に取り、思わず叩きつけるように盆の上に戻した。
「どうしたんです?」
顔色の悪いフロイドは、首を振ってから
「いや、なんか変なのが目の前に見えたって言うか」
「……この頭骨の記憶かもしれないですね。何を見たんです?」
あまり驚かないアズールに、フロイドは想わず汗を拭って
「ん、っと。どっかの建物の中で、人が二人話してた、みたいな」
「僕も見られるでしょうか」
ぱっとジェイドは頭骨に触れ、少し立ちくらみを起こしたようによろけてから首を振った。
「……どうー? オレあんまりわかんなかったんだけど」
「同じものかは分かりませんが、老人を見ている誰かの視点でしたね。確かに会話をしていました。どこかから出て行く、と言ってる声に対して忠告を忘れないように、と老人が」
「汝血を恐れよ、でしょ」
「ええ、それです。なるほど。同じものだったのですね」
「……汝血を恐れよ……。それは……聞いたことがあります」
アズールは思案げにうろつきながら呟く。二人がアズールに目を向けると、彼は思い出すように言葉をえらび
「僕がいた病院で、医者たちが言っていたんですよ。おそらくは合い言葉のような物だったのかもしれないですが」
「合い言葉ですか。そうすると意味は余りないのでしょうか」
「いえ、そういう訳でもなかった気がします。たしか、警句だと言っていました。ずっと昔からあるもので……獣狩りに精力的な狩人や、医者達がよく言っていたようです」
ジェイドとフロイドは、わずかに思い当たるような気持ちがして、あのロロが狩った死体の方に目をやった。
この街の獣狩り達はほぼ勝機を失い、獣と成り果てている。ジェイドとフロイドがそうだったが、時折迷い込んだ普通の人間を獣と誤認して襲いかかるような連中になってしまっている。そうして、恐ろしいことだが、彼らを狩るときに流れる血は随分と人間を始末するときと違い、妙な高揚感があるのは確かだった。
「獣の血に何かあるのでしょうか。それに、この街の血の医療というのも妙な話ですし」
「まあねー。血を輸血すれば病気が治るってのも変なのは確かだよね」
「僕のように、その医療のために調整を施された血の提供者などもいましたが、長く行われていた行為です。他の街には無いんですか?」
「無い無い。ここ来て初めて聞いたくらい。まあオレらはそもそも医療とかじゃなくてうっかり迷い込んだ口だからってのもあるけど」
「実際に治った人がいたのでしょうか。この状態ではどうにも分からないですね」
「ていうか、次何処に行く? なんか他に行けそうな所とか思いつかねーし。さっきのやつもはぐらかした感じだったし」
「そうですね……。時間も遅いですから、まずは一度帰りましょうか。戻れるかも見てみないとですし。アズールもそれでいいですか」
「ええ、いいですよ。ここはある意味では空振りでしたね……。他に行ける場所……」
うーんと考えながら歩くアズールに寄り添い、ジェイドとフロイドは階段を下りてそっと外の様子を窺ってから聖堂から出た。
「まずは経路確認っと」
高い場所を探そうと辺りを見渡していたフロイドの頭上から、声が降ってきた。
「それなら、こっちの道を回っていった方が安全かも。あとの所は人が多いよ!」
咄嗟に武器を構えたジェイドとフロイドに、聖堂の上に立っていた人影は、手を振って空をふわりと降りて来た。
「ま、待って、僕敵じゃないよ! 獣でもないし!」
「じゃあ、誰」
フロイドの警戒した声に、それは肩を落としたようにわずかに俯いてから顔を上げた。
「人形だよ。動くことの出来る不思議な人形なんだ。凄いでしょ」
少年の声は弾んでいて、ジェイドとフロイドは、わずかに躊躇ってから、武器を降ろした。
「人形、自動絡繰りですか」
「そう。兄さんが作ったんだよ。と言っても、動くようになったのはごく最近で、夜が明けなくなってからなんだけど」
そう言って彼はぴょこりと頭を下げた。
「僕、オルト・シュラウド。あなたたちは……まだまともな獣狩りでしょう? だから声をかけて見たんだ」
よろしくお願いします、と彼は頭を上げて手を差しだした。
その手へ精巧ではあるが、指紋も何も無いつるりとした陶器のような指と、球体関節で連結していた。
「僕達がまともだってどうして想ったんです?」
声をかけたのはアズールだった。流石に人形が喋る、動く、という状況にジェイドとフロイドは一瞬頭が付いていけず、黙りこんだのだが、アズールはあまり気にならないらしい。
にこやかに近づいてオルトと名乗った人形に手を差しだした。
「僕はアズールです。初めまして。僕達以外の狩人に会えて嬉しいです」
「僕も嬉しいよ。兄さんに教えてあげないと」
「お兄さん、がいるんですか」
ジェイドの問いかけに、オルトは頷いた。
「うん。僕、兄さんに作られたから。ここから少し先にある廃棄された工房を間借りしてるんだ」
指差した場所は聖堂からも見える高い塔のほうで、フロイドはその先を見つめて思わず声を上げた。
「あそこ、オレらで一度調べた場所じゃん。開かなかったやつ」
「そう、下の入り口は封鎖してるんだ。危ないから」
「誰か助けを求めてきたらどうするんです?」
「……僕達結構長くここにいるけど、そう言う人はいなかったんだ。それに僕も定期的に見て回ってるんだけど……」
首を振るオルトに、アズールはまあそうですよね、と頷く。アズール達も街をうろついてみても似たような状態なのだ。非戦闘民の人々で時折助けを求める人が片手で数えるほど、という所で、それも次に避難先に顔を出すと、あまり良くない結果になることも多かった。
「でも、さっきも一人まともな獣狩りいたよねぇ」
「え、そうなの? 気付かなかったな……」
オルトは頸を傾げて辺りに視線を向けたが、うーんと唸ってから視線を三人の方に向けた。
「この辺りに正気の人は見当たらないみたいだけど……。さっきここの鐘が鳴ったせいか、こっちに狩人崩れ達が寄ってきてるみたい」
「あ、そうだ。オレ達早く帰らないと」
「何処の辺りを拠点にしてるの?」
オルトの問いに、アズールが村の入り口付近を指すと、オルトは目を細めてから
「結構道々人が密集してきてるみたい。少し時間をおかないとかも」
オルトはそう言ってから、もし良ければとアズール達に声をかけた。
「一端僕達の工房で休んでいったらどうかな。兄さん、結構いろいろ調べてたから知っている事もあるかもしれないし」
三人はお互い目配せしてから頷いた。
「ええ、オルトさんが宜しければ僕達こそお願いします」
「よろしくー」
「ご迷惑おかけします」
「うん、任せて! ただ、工房まで僕は飛んでいけたんだけど、三人は道を回っていかないとだよね。あの辺、ちょっとだけ教会の獣狩りだった人達がまだ残ってて徘徊してるから……。僕が偵察して教えるね」
「クリオネちゃんは戦えないの?」
「一応武装、というか、火炎放射とかは出来るよ! ただ、僕は人形だからか、獣狩りの人達が認識しないんだ。あの人達もう目が殆ど見えないから血の匂いと音に惹かれるみたいで」
「なるほど。オルトさんは空を飛べるし、血肉があるわけでは無いから彼らに気付かれにくい。なら、無理して戦闘を刷る必要は無いですね」
「うん、だからパトロールもやってたんだ。勿論、カラスとか犬はそういうの関係無く寄ってくるから全く武装がないのも心許なくて」
オルトはそう言いながらふわふわと地面から数インチほど上の辺りを浮遊して三人の前を進み始めた。
即席の墓場となった広場を通り抜け、細い裏路地を隠れながら移動すると、やがて街を見晴らせる別の広場にたどり着いた。
「ここ、以前は下から大聖堂まで行けたらしいんだけど、あるときから閉じてしまったんだって」
広場の下にある大橋を指差し、オルトは黙りこむ。恐らく息をする事が出来ればため息でもついていただろう。
「オレ達はもうずっと夜の街しか見てないけど、昼間は空いてたって事?」
「獣狩りが無ければ夜も開いていたんだって。そもそも、狩りだってそんなに毎日あったわけでは無かったみたい。今ある街は丘の上にあるけど、聖堂街の向こうはいくつも街があって、獣の病が流行る度に街を封鎖しながら上に移動してきた、みたい。兄さんが古い文献を読んで調べたらしいよ」
「そんな事があったんですか」
アズールは思わず呟き、静まりかえった広場から辺りに目を向けた。
「アズールは元々どうしていたんだっけ」
「僕は、元々もっと郊外にあった教会の研究施設というか……。ただ、医者達も会話が成り立たないくらいに錯乱して襲いかかるようになって、とてもいられませんでした。外にどうにか逃げ出して、森……を抜けて、気が付いたら街に来ていました」
広場からオルトが再び移動し、階段の続く丘の更に上へと登りながら、アズールはゼエゼエと息を継ぎながら喋る。
「アズール、背中乗る?」
「だ、大丈夫、で」
げほげほ、と咳き込むアズールに、ジェイドとオルトは足を止める。
「無理をしない方が良いよ、アズール・アーシェングロットさん。体格による体力の差、大分その二人とあるみたいだし」
「ぼ、僕だっていい年ですし」
「そうだろうけど……僕達の移動の音に反応してちょっといつも同じルートを回ってる筈の狩人達がルートを変更し始めたみたいなんだ」
「……無用な戦闘はもっと避けたいですね。仕方がありません。アズール。僕の背中に乗ってください。フロイドはもし何か来たときの対処を」
「はーい」
ブツブツと文句をひとしきり言ってから、アズールはジェイドに抱えられてそのまま一行はスピードを上げて歩き出した。階段を登り切り、施錠された塔の前に立つと、オルトが手首の中から鍵を取り出し、扉を開ける。
「兄さん、ただいまー」
扉を入ったオルトが上に向かって声をかけると、らせん階段の先で扉が開いて男が首だけ出して、覗き込んできた。
「お、おおおおオルト!? その方々……は!?」
「下の聖堂で見つけた狩人さん達だよ。まだ正気の人達なんだ。さっきの鐘の音のせいで下に帰れなくなったみたいで」
「か、鐘……ああ、あれか」
がたがたと音をさせ、ドアから首だけ出していた男はようやっとドアを大きく開け、手招きをした。
「さ、どうぞ。兄さんの工房へようこそ!」
オルトはそう言ってらせん階段を上り始め、三人は埃とカビの匂いがする薄暗い塔の階段を上り始めた。
廃工房
「ど、どうぞ」
案内された部屋はもので溢れていた。
壁には作り付けの棚の中にぎっしりと古い文献らしき革表紙の本が置かれ、足りない分はうずたかく積まれていた。部屋の端には作業用の台があり、人形のパーツらしい球体の木製パーツや陶器のパーツなどが転がり、いくつもの試作品らしいガラスの目玉が瓶の中に無造作に突っ込まれていたりもしていた。
「随分沢山本がありますね」
ジェイドが近づいて見つめると、男は飛ぶように一瞬びくんと揺れ、すぐに頷いた。
「こ、ここは長いから、それなりに集まったって言うか……。いろいろ調べていた時期は、僕にもあったから……」
「今はやっていないんですか?」
アズールの問いかけに、男はすっと視線を逸らしてから、まあね、と答える。やがて、はあ、とため息をついて部屋の端に埋もれていた椅子を三脚引っ張り出した。
「昔は結構拙者も頑張ってたんですわー。ほんと、馬鹿みたいにさ」
外廊下へと出る扉を開けた男は、鐘の音が再び聞こえてきたのに思わず眉をひそめた。
「今日はやけに鐘が鳴るな……。オルト、ちょっと様子を見てきてくれる?」
「うん、わかった!」
外へ飛び出してふわりと降りていくオルトを見送ってから、男はそのまま三人に向き直った。
「オルトの、兄の……。イデア・シュラウド、です。よろしく……。オルトが言ったかもしれないけど、狩人で会話が成り立つレベルの人間にあったのは正直初めてだから……。茶とか、そういうのは用意するのはちょっと」
「おかまいなく。物資が少ないのは理解していますし。僕はジェイド、双子の兄弟のフロイド、そして、この街で見つけた協力者のアズールの三人です」
「そ、ならよかった。とはいえ、干しぶどうとかなら少し融通は一応出来ると思う。食事が必要なのは一人だけだし」
「うちは三人の大所帯だし、ジェイドすげーねんぴわるいからねえ」
「フロイドも大概でしょうに。いえ、今のところぼくらの拠点あたりは畑も機能していてどうにかそこからの作物が手に入る状態です」
「……ふーん、時間の経過が滅茶苦茶な割に、一応何かしらの積み重ねはあるって事か……」
イデアは何か考え込みながらブツブツつと呟く。
「どういうことです?」
ジェイドの問いかけに、イデアは少し考えてから、積まれた本のひとつを手に取った。
「これ、ここの拠点にあった、工房にいた職人が書いた日記らしいんだけど、時折抜けてたりするけど、ほぼ毎日、書き続けられていた物。目を通せば分かると思う」
「どれどれ?」
数年分の日記が書き込めるタイプの重たい冊子を受け取り、アズールは手近にあった机の上に日記を広げてパラパラとめくり始めた。最初の頃は、それなりに平和な街での暮らしが綴られ、その所々に、獣狩りについての言及があるのがこの街らしいところだった。
「……日付を見るとかなり前ですね。その頃から獣狩りは散発的に行われていたんですね」
「獣の病が、風土病として前から存在していたらしいんだよね。だから、消毒と称して何度か街ごと封鎖して廃棄したり、時に街ごと燃やしたり……。移動しながらここの丘まで来たみたいだね。病気の治療で街が有名になったのもこの風土病の研究の副産物らしいし」
「イデアさんは、ずっとここにいたわけでは無いんですか? オルトさんもそんな事を言っていましたが」
「……拙者……僕達は、病気の治療法があるかと思ってこの街に来たんだ。まだ昼間もあったし、街から出られないなんて事も無かった頃だけど」
「なるほど……」
「ふーん、ずっと夜の状態だから想像出来ねーなぁ」
フロイドはそう言って椅子に座って身体を投げ出し、疲れたーと天井付近を見上げた。
「ここ、廃棄されてたって言うけど人は?」
「いなかった。正直、こうなった時の事は良く分からないんだけど」
アズールはパラパラとめくっていた日記のページをふと止めて、眉をひそめた。
「変ですね。日付は律儀に書き込まれて言って日が経っているのに、途中から毎日書いていた天気の様子を書かなくなっています」
「ああ、多分だけど、その辺りから朝が来なくなったんじゃないかな」
「え、でも朝が来ないってなったら慌てるでしょ普通。日記のんびり書いてる暇あるわけ?」
「天気を書かなくなった以外に、おかしいような素振りが無いんです。ようやっと日記のなかに朝が来ない事を書いているのは、天気を書かなくなってから日付的には2週間も経っていますね」
「それに、内容はそれなりですが、途中から妙に字が乱れているように見えますね」
ジェイドもアズールの背後から日記を見つめ、眉をひそめる。フロイドが二人の覗き込んでいる隙間から見つめ、うへえ、と呻いた。
「どんどんぐちゃぐちゃんになって読めなくなってきてないこれ?」
「うん、恐らくだけど、獣の病が発症していったんんじゃない? そして、ある日を境に」
「何か書こうとしていた跡はありますが、殆ど読めないし、ペンを押しつけすぎたのか破けてますね。これは……」
「まあ、そういう事じゃない? もしかしたら君たちが街で倒したりした中にそれを書いたのがいたかもしれないけど、どうせ理性なんてないし」
イデアは気にしないふうに手を振って、疲れた顔で椅子に座り込む。
「はあ、人と話すのだるい……」
「……ところで、オルトさんはどうして人形なのに動いているんです? 一体どんなことをして」
ジェイドの言葉に、イデアは暗い表情のまま力なく肩を落とした。
「勝手に動き出した……としか」
「そんな事あるの?」
フロイドは胡散臭そうに眉をひそめるが、イデアはしょうがない、という素振りでパーツ類を手に取り
「オルトは僕の弟だった。うちはそれなりの金もあって手を尽くしたけど外の治療ではどうにもならなくて……。もしかしたらと思ってここに来たんだ」
「……病気ですか? でも彼は人形ですよね?」
アズールは日記をイデアに返すと、イデアは今はね、と手を振る。
「昔は君と同じくらいの背丈の子供だったんだ。ここの医療のことは君たち知ってる?」
「オレ達、迷い込んだだけだからその辺よく知らねーんだよね。一応噂で妙な治療をしている街の話は聞いたことあったけどさ」
そんなすげーの? と問いかけるフロイドに頷いてジェイドも頸を傾げる。アズールの特殊な血のことはどこまでイデアが知っているかは分からなかったので、彼らはあくまでも知らない、という顔でイデアを見つめた。アズールは、それに気付いているのか大人しく椅子に座ってぷらぷらと日記やそばの文献をせっせと漁り始めていた。
「ええ、変わった医療というのは、アズールの様子からも何となく分かってはいたのですが」
「そう、なら頭の整理かねてってところで。ここの医療は、血の医療と呼ばれている。外部で同じような物をやったら完全にオカルト。それを独特の宗教感でコーティングして忌避感を減らしてるのか、元々そう言う土壌なのか……。どんな手段かは分からないけど、特別な血を人体に輸血することで様々な病気や怪我を予防するというやつ。特にその中でも『青ざめた血』が一番良いとか、そういう話はここに来てすぐに聞いたことがあるよ。実際、オルトも輸血治療で少しだけ体調は良くなった……時があったと思う。けど、遅すぎた、と」
「遅すぎた、とは?」
「オルトの病気の進行が進みすぎていたみたいで、小康状態だったのに、ある時いきなり急変して。丁度獣狩りの夜だったから医者を呼ぶことも出来ず」
ふ、と息を吸うように黙りこみ、イデアは立ち上がってパーツを作業台の方に置き、工具を手に取った。
「街から出られなくなったのはそれから少ししてからだった気がする。もう殆ど覚えてないけど。むしろその方が好都合って言うか」
「どうしてです? 自由に出入りできた方が良いに決まってるじゃ無いですか」
アズールはむうっと不満げにつぶやくが、イデアは首を振る。
「ここ、古い記録を見ると、もっと原始的な処置らしいんだけど……。できたらしいんだ」
「何を?」
フロイドの問いに、イデアは暗い表情のまま答える。
「死者……、蘇生」
教会の鐘の音が再び鳴り、どこかで獣狩りと獣たちが叫ぶ声が聞こえてきた。
++++++
ブラボパロ、兄弟を出したかったというのも理由にあったので出せて満足。