君の帰り着く場所

 りんは手桶の水を墓石にかけて清めた。
新しい線香に火をつけ軽く振って置く。
本当はチューリップを買ってこようとしたが、街のショッピングモールに入っている花屋はあいにく売り切れていた。
姉が育てていた花も季節外れの寒さと鹿に食い荒らされてしまっていたから今日は普通の仏花を供える。
手を合わせて、線香の灯を消してから他に忘れ物がないかを確認して手桶をもって墓地を出る。
それなりにあったかつての近所の人たちの墓も、街やもう少し街に近い場所にある集落へ移され、もはや古い崩れかかったような墓石しか残っていない。
崩れかかった家や更地になった家の前を通り、家に続く道をだらだらと歩く。
墓参りの後はいつもそうだ。
家に向かう一歩がいつも重い。
ふっと息をつこうと何とはなしに上を見上げて、りんは吐き出しかけた息が止まった。
それが何か、頭が理解する前に黒い影は地面に叩きつけられて道の真ん中にごろごろと転がった。
上空で息絶えた鳥、にしては大きすぎる。

 目の前に転がるそれを見つめ、りんはそれが何かを認識することを拒否した。
理解の範疇を超えている。
無視する、という選択肢が頭をよぎったが、放っておけば獲物があると気づいた猪などが下りてくるかもしれない。
恐る恐る、りんは転がっているそれを見下ろした。
思いのほか、大変な状態になっていない。
「おい」
ようやっと、それに声をかけて、応急救護の時のように軽くゆすってみる。
「うー…」
もぞもぞと間の抜けたうめき声をあげてそれがぴくりと動いた。
死んでいない。

―いや、そもそもなんで生きているんだ

何もない空から落ちてきたそれは、りんが見た限りでは十メートル以上うえから降ってきていた。
それとも自分の見間違い、なのか。
飛行機もヘリも飛んでいないのにどこから落ちてきたのか、理解の範疇を超えているので考えないようにしていたが、ぼんやりしすぎてよく見ていなかったのだろうか。そもそも居たことに気づいていなかったのだろうか。
妹が貸してくれた本にそんな話があった気がする。
りんは目の前に転がる人間を見下ろす。
見た限りでは目立った怪我もない。
「おい、大丈夫か」
もう一度、声をかけてみる。
ぴくりと眉が動き、瞼が開く。
こげ茶の澄んだ瞳がりんを見つめ、開いていた瞳孔が焦点を合わせるようにすっと細くなり、瞬いた。
「…あれ…?」
青年はゆっくりと頭を振って起き上がった。
「どこか、怪我は?」
「…いえ、大丈夫、だと思います。僕は…」
青年はゆっくりと首を振って、息を吐いた。
「どうしてここにいるんでしょうか…」
「どうしてって…」
こちらが聞きたいことだ。
「覚えていないのか」
「はい」
不思議そうに自分の手をしげしげと眺めて青年は言った。
ぐっと手を握ったり閉じたりしているさまは生まれたばかりの子供が手の感触を確かめるようにどこか危なっかしい。
「名前は?」
「…わかば、っていいます」
青年は頭に手をやって、少し考えこんでから首を振った。
「なんか僕、それ以外どうも分からないですね」
「は…」
思わずりんの口から空気の抜けるような音が出た。
「それは…大丈夫、か」
そんなわけがない。
いよいよ自分の脳の処理能力を超える出来事になってきたことにりんは眩暈がしてきた。こういう時、姉たちや聡い妹なら何とかしてしまうのだろう。
青年は特にりんの言葉に気にする風でもなく、笑顔を向けた。
「はい、別に何ともないです。あ、そういえばお礼言ってなかったですね。助けてくれてありがとうございます」
わかばはりんに頭を下げた。
「べ、別に。助けるって…そんな大した事をしたわけではないから」
「そんなことないですよ。僕起きて一人でここにいたら正直途方に暮れちゃってたと思うんで。そういえば、お名前、聞いてもいいですか?」
「…りん」
「り、ん。りん、さん。きれいな名前ですね」
異国の言葉を覚えるように一音一音噛むようにつぶやき、わかばは頷いた。
「べ、つに、普通にある名前だ。」
何故かわからないが最初の音が裏返って慌てて咳払いをして声のトーンを落とす。
知恵熱だろうか、体温がぐっと上がってすぐにふっと下がり、心拍数の乱高下が止まらない。
「立てるのか」
「はい、大丈夫です」
言いながらわかばは立ち上がって服についた砂や汚れを払った。
その動きだけでもすでにふらふらとしていて今にも後ろに転がってしまいそうだ。
「…すぐそこが私の家だ。とりあえずはそこで休んだほうがいいだろう」
わかばの腕を肩にかけて支えりんは歩き出した。
「すみません…」
わかばは小さく詫びてりんに支えられて歩き出した。

りなっちは一番に玄関に飛び込み家の奥に向かって叫んだ。
「ただいまな!」
「おかえりみんな」
転がるように走ってきた妹たちに、客間から出てきたりんは声をかける。
「りんねえね、お客さんな?」
りなじは玄関に置かれた見慣れない靴に気づいて問いかける。
「ああ、少しの間静かにしててくれ」
「了解な」
「わかったのな」
りなぞう、りなよは頷いた。
「いつ帰るのな?」
りなこの問いにりんは少し言葉を濁して咳払いをした。
「もう少ししたらだ。さあ、みんなさっさと宿題を終わらせなさい。でないとおやつは無し」
「な、なな!」
「それは困るな!りなむも急ぐな!」
二階にばたばたと駆け上る妹たちを見送り、りんは台所に入った。
「りん、はいこれ。ちょうどよかったにゃ」
お茶のお盆を渡してきたりつに、りんは礼を言う。
「ごめん、姉さん。面倒になるよね、これ」
「何言ってるにゃ。道に倒れていたのに無視するなんて、りんじゃ無いにゃ」
りつは冷蔵庫に入れておいたものからお客に出せそうなものがないかとがさごそとあさり始めた。
「…にゃー、お客さんなんてずいぶん久しぶりだからなかなか無いにゃー。とりあえず、お茶だけ先に出してもらえる?」
「あ、うん」
「大丈夫にゃ、わかば君?とっても良い子そうにゃ。そんな大騒ぎするようなことじゃないにゃ」
「いや、えっと…」
珍しく歯切れの悪い返事の妹の様子にりつは探し物をした手を一瞬止めた。
「どうかしたにゃ?」
「いや、何でもない」
りんは逃げるようにあちこちひっくり返し始めた姉を残して台所を出て、客間に戻った。
客間では、わかばが不思議そうに部屋の中を眺めていた。
「それは何ですか?」
「ただの煎茶だ。昔はちゃんとしたものを出していたんだが…」
「わあ、変わってますね。気になるなー」
お茶を注いでわかばの前に置き、りんはわかばの向かい側に座る。
わかばは湯呑を手に取って少し口をつけた。
「おいしい、すごく!香りもいいですね。不思議だなー」
わかばの言葉にりんは思わず自分の分を飲んでみた。
別になんてことはない普通の茶だ。
まあ、喜んでいるならいいのだろう。
「おまたせにゃー」
りつが客間に入ってきた。手にはかき集めた果物やお菓子が雑多に置かれている。
「どうぞ好きなもの食べてにゃ」
「ありがとうございます。でも、これがおいしいので大丈夫です」
「喜んでもらえてよかったにゃー」
―100グラム1000円以下のお茶なんだけどにゃー…
りつは少しばかり胸が痛くなるのをごまかすように、咳払いした。
「…それじゃ、改めてりんの姉のりつにゃ。りんから聞いたけど、何処から来たのかわからないって…。」
「そうなんです」
「何か、身元が分かるようなもの、持ってないのかにゃ。財布とか、手帳とか…」
「…えーっと…」
わかばは困ったように頬を掻いて、ポケットから何かを取り出した。
「実は、さっきちょっと自分でも探してみたんですけど…これしかなくて」
テーブルに並べられたそれは、葉の葉脈をデザイン化したような不思議なしおりのようなものだった。
「…これは?」
「ケムリクサです」
「見たことないし、聞いたこともないな」
「んー…でもこれ、ずっとポケットに入っていて…」
わかばは一枚に指を置いて滑らせる。ほのかに葉が橙色に光り、葉の表面に読み込み中のマークのようなものがくるくると回りながら浮かび上がった。
「動かせるんですが…どうしてこれだけ持っていたのかは残念ですが…」
思い出せないんですよね、とわかばはふっと息を吐いた。
「ほかには何もないのか」
「ええ…」
りんとりつは顔を見合わせた。
「少し待ってもらっていいかにゃわかば君」
「はい」
りんとりつは客間から出て台所へ向かった。
「…わかば君、ちょっと変わった子にゃね。」
「だいぶ変だよ…。こんな辺鄙なところに倒れていておまけによくわからない物を持ってるし…」
「んー…りょくちゃんがいればその辺色々分かったかもしれないけど。ここには居ないし…」
「みんながいればもう少し知恵が出せたかもしれないな」
「とはいえ、今は私たちだけだしにゃ…。街の警察に届けるのが良いんだろうけど…すこし、様子を見てみる?」
「まあ、あのひょろっこさなら妙な気を起こしたとしてもなんとかできるとは思うけど…筋肉もほとんどないみたいで軽かったし」
「不思議な子にゃね。でも、やっぱり悪い子には見えないにゃー。りんも、そう思ったからうちに運んだんでしょ?」
「別に、そんなに難しいことは考えたわけでは…」
「そうかにゃー…子供のころは、よく怪我した烏とか、ムササビとか蝙蝠とか、抱えて飛び込んできたにゃ。あの時の顔にそっくりだったにゃ。もう、何とかしてあげないと、っていう…」
「人間はそんなレベル超えてるよ」
「気にしないにゃ。みんな同じようなもんだにゃ」
りんは思わず首を振る。やはりこの姉は若干おおざっぱだ。
りつはお湯の入った保温ジャーを手に取った。
二人は客間に戻ろうとしたがふとりんが二階のほうに目を向けた。
上にいるはずの六つ子たちの気配がまるで感じられない。
いつもなら宿題一つやるのにとんでもない騒ぎになるのにだ。
二人は嫌な予感がして顔を見合わせた。
「…静かすぎないか」
「…静かすぎるにゃー…」
二人は音をたてないようにそっと客間のふすまを開け中を覗き込んだ。

「なな!わかば、これは何かわかるか」
りなっちの持っているものを手に取って、わかばは首を傾げた。
「えっと…なんでしょうか」
「リモコンだな!こうやって赤いところを押すとテレビがつくな!」
りなじがリモコンをりなっちからとってボタンを押すと、夕方のワイドショーが客間にガンガンと流れ始めた。
「へーすごいですねー!」
テレビとリモコンを見ながらわかばはしきりと感心する。
四つん這いでテレビに近づいて眺めるわかばの背中にりなじがどんと乗っかり、うっとわかばがうめく。
「わかば本当に何も知らないのな」
「そんなんでお外に出られるのな?」
「道でクマに食べられちゃうんじゃないかな」
「鈍くさそうだもんなー」
「なな!」
いつの間に下に降りてきたんだと、りんは眉間を思わず強く押した。
わかばにまとわりつきながら、妹たちは客間にあるものをあーだこーだと指さしててんでばらばらに喋り、わかばは大真面目にそれらにリアクションをとっていた。

 りんはため息をついてすぱん、と客間の戸を勢い良くあけた。
妹たちの動きが止まり、ワイドショーの音だけが響いた。
「全員部屋に移動!」
「きゃー!!」
ばたばたと走って逃げる妹たちをりつが走らないでーと後を追いかける。
「妹たちが迷惑をかけたな」
ポットをテーブルのわきに置き、りんは急須に湯を注ぎ、わかばの空になった湯呑を手に取る。
「いえ、大丈夫ですよ。色々なもの、教えてもらったので」
わかばはどうやら妹たちから教えてもらった通りに、リモコンをとってテレビの電源を消し、リモコンホルダーに差し掛けた。
「…にぎやかな妹さんたちですね」
「ああ。ちょっと度が過ぎることもあるがいい子たちだ」
「そうですね」
「姉さんと少し話した。事情が色々ありそうだから、何かわかるまではまあ、少しの間なら居てもいい」
「本当ですか」
「何か妙な真似をすればすぐにでも叩き出すが。」
「ありがとうございます。りんさん。あ、そうだ。りんさん、何かしてほしいことありますか。」
「なんだいきなり」
「りなっちさんたちが教えてくれたんです。このあたり、怖い動物がいるから、そのままだったら食べられてただろうって。りんさんに助けてもらわなかったら、僕、そのまま死んでたと思うんで」
「…っ」
りんは思わず言葉に詰まり、持っていた自分の湯飲みを落とした。
「だ、大丈夫ですか」
「…ちょっと、滑らせただけだ」
りんは咳き込みながらわかばから顔をそらした。

ミドリ

 はあ、とりつは何度目かわからないため息をついた。
幸い商品のほうに被害がなかったから、それでよしとするしかない。
頭では理解できているが、それでもがっかりとした気持ちが消えず、りつは鉢植えを抱えた。
「姉さん」
「おはよう、りん。」
裏山から帰ってきたりんは、りつの持っている植木鉢に目をやる。
「…また食われていたの」
「そうみたいにゃー。」
りんは眉根を寄せて植木鉢を見下ろした。
先週食べられずに残っていた最後の鉢植えだったはずだ。
「ごめん、色々対策を取ってみたんだけど…」
「りんのせいじゃないにゃ。どうしようもないにゃ」
りつは齧られてしまった花の苗を愛おしそうに撫でた。
「出荷しないといけない野菜のほうはまだ被害がないから、この子が守ってくれたと思ってまた育てるにゃ」
「もう少しネットとか、獣除けの電気柵を増やしてみるよ」
「あまり広げても全部維持はできないにゃ。無理はしなくていいにゃ」
「でも…」
「ほらほら、りん。もう朝の作業は終わってるんだったらご飯食べて少し休むにゃ。せっかく家にいるんだからちゃんと休むにゃ」
「…わかったよ。姉さんも、日差し強くなってきたから気を付けて」
「わかってるにゃ、ちゃんと帽子しているから大丈夫にゃ」
目をこすりながら家の中に入っていく妹を見届けて、りつははあっとため息をついた。
妹に甘えてしまっているという自覚はある。
この家に自分のやりたいことのために一人で残ることにしたのは自分なのに、気づけば山の管理はほとんどりんがやってくれているし、妹たちの事もかなり目を配ってもらっている。
一人でこの家にずっと居続けるのは本当は限界なのだ。
一番下の妹だって学校のことを考えれば街にある学校のほうがいい。
両親が死んだときがちょうどいいタイミングだったはずなのだ。
「よっと…」
植木鉢を抱えなおして歩き始めると、玄関の戸が開いてひょこっとわかばが顔を出した。
「おはよう、わかばくん。よく眠れたかにゃ」
「あ、はい。皆さんずいぶん早いんですね。あのりなっちさん達は」
「学校に行ってるのにゃ。わたしは農作業があるし、りんは山で作業があるからどうしても早いのにゃ。起こしちゃったかにゃ」
「いえ、僕睡眠はそこまで…あれ、りつさん。…それはどうしたんですか?」
「大したことじゃないにゃ。山からきた鹿に芽を食べられちゃってにゃ…」
「動物…。ずいぶん人のそばまで来るんですね」
「最近雪があまり降らなくなったせいで越冬できる鹿の数が増えてしまっているんだにゃ。裏側の山をどっかの業者が削ったらしいから…食べ物を探してここまで来てしまっているんだにゃー。りんが色々頑張っているんだけど…数が多いから…」
りつは垣根のそばにある大きな木に目をやった。
「あそこにある桜の木も、毎年鹿が齧ったりするからだいぶ弱ってきているのにゃ…」
わかばは少し考えこんで、ふと、何かに気づいてポケットから例の不思議な葉を取り出した。
「りつさん、それ、少し借りてもいいですか」
「どうぞにゃ。もうそこに埋めてしまうつもりだったから」
植木鉢を受け取り、わかばはそっと地面に置いた。
「たぶん、これで…」
仄かに緑色に光る葉の茎側を口にくわえ、息を吸い、齧られてしまった苗に向かって、そっと息を吹きかけた。
ふわりと、薄荷のような匂いと香ばしい匂いが広がり、苗が緑色に光り、もぞもぞと、としか言いようのない動きで動き出した。
よくテレビで芽が出る様子を10倍速で再生しているような動きだ。
しかし、よく見ていると齧られてほとんどなくなっていた葉が徐々に長く伸びてきて、さらに茎が土の中から生えてきた。
するすると茎は伸び続け、やがて伸びるのが止まると今度は先端が膨らんで蕾の状態になり、動きが緩やかになってやがて止まった。
「…にゃ!?葉っぱが、蕾が出てるにゃ!?」
「ミドリの葉は物質を安定状態に戻すのが得意なんです。水をたっぷり含んでいたので成長も促進したみたいですね」
わかばは特に何事もないように言いながら鉢植えをりつに渡した。
「わかばくん…でも、いいのかにゃ。そんな貴重なもの使ってしまって…」
「はい、別に構いません。皆さんには良くしてもらってるし。」
「にゃー…わかば君、ひょっとして物凄い研究していた博士とか?ハリウッド映画みたいな感じで!すごい発見をしたんだけど悪い奴に襲われて逃げてきた途中で!とか」
「ハリウッドがなにか良く分からないんですけど…研究者ですかー。ピンとこないです」
「そうかにゃ、確かに、魔法使いの方が似合いそうな気もするにゃ。魔法だにゃ」
「まほう…ですか?気になりますねー」
「そういえば、りょくちゃんのお部屋にある本とか、確かそういうのがいっぱいあった気がするにゃ。今はだれも使っていないから、思い出せるものがあるか見てみるといいにゃ」
「いいんですか?ありがとうございます」
がちゃ、と勝手口の戸が開く音がして、家の裏からりんが歩いてきた。
手には電気柵の支柱とワイヤを抱えている。
「姉さん…と…お前も居たのか」
りつに声をかけたりんは、隣にいるわかばに気づいて目をそらした。
りつはりんの動きに気づいて、手元の植木をりんに見せた。
「りん、みるにゃこれ。わかば君が魔法使ったにゃ。蕾までついたにゃ」
「…これは」
りんは姉の持っている植木鉢と、わかばを交互に見やった。
「…それは…よかった」
少し考えてから言葉を選ぶようにりんは答えた。
「すごいにゃ、わかば君のおかげにゃ」
「そう…。一応裏側に柵は足しておくから。」
「あの、りんさん。僕も手伝っていいですか」
「…別にいい。」
少しわかばを見やって、りんはふっと視線をそらして素っ気なく呟いた。

 「僕、やっぱり嫌われてる感じですよね」
わかばは少ししょんぼりとした表情でりんを見送りながらりつに呟いた。
「もともと人見知りではあったんだけど…。ちょっと今は色々あってね。ごめんねわかば君。」
「やっぱり僕が来たせいですかね」
「そうじゃなくて、もともと少し前に色々あって家に帰ってきて、ちょっと療養している感じなんだにゃ」
「そうなんですか。ずっとこちらにいたんじゃないんですね」
「そうにゃ、街のほうでお仕事していたんだにゃ。」
りつは鉢植えを置いて腰をとんとん叩いてふうっと息をついた。
「それじゃ、私は畑のほうで作業がまだあるから。あちこち見てくるといいにゃ」
「はい、それじゃ」
生垣の外に広がる畑に降りていくりつを見送り、わかばは何とはなしに歩き始めた。

四つ葉

わかばはぼんやりと村の中を歩いて回っていた。
やはりというかなんというか、何か記憶に引っかかるものがあるかと思ってみるが、どれも初めて目にするものばかりのように感じた。
気になるものを手に取ったりポケットの中にしまい込んだりしながらふらふらと道を下っていくと、少し行った先にコンクリート製の建物の前に行き当たった。
「…学校?」
門柱に書いてある文字をしげしげと見ながらわかばは首をかしげる。
「なな!わかばだ!」
「本当だ!なんでいるナ?」
「お前何してるのな?」
建物から出てきたりなっちがわかばに気づき声を上げ、後ろにいた六つ子がばたばたと出てきた。
「ここは…」
目を白黒させるわかばを引っ張りあい、六つ子はわいわい騒ぎだす。
「小学校だな!」
「ここはりなじたちの学校だな!」
「もうりなたちしかいないけどな!」
「専用なんだな!」
六つ子たちはわかばを外にそのまま引っ張り出し、校門を出た。
「あれ、皆さん良いんですか。何か用事とか」
「学校はもう終わりナ!」
「今から帰るところな!」
「ていうかわかば、こんなところまでふらふら何してたんだな」
「いやー、ちょっと散歩というか、気になるものとかを探してて」
わかばはポケットの中を探って一枚の葉を取り出した。
りなじはあっと声を上げた。
「四つ葉のクローバーな!どこにあったな!?」
「え?えーっと…確かここに来る途中の…川のそばの広場ですね」
わかばは手に持っていた葉をりなじに渡す。
「すごいな!本物初めて見たな!」
「なな!」
不思議そうに大騒ぎする六つ子を眺めているわかばに、りなっちとりなよが答えた。
「四つ葉のクローバーは、めったに見られない葉っぱなんだな」
「だから、幸運のお守りって言われているんだな」
「そうだったんですか。不思議だなー」
わかばは改めて葉を手に取って首をひねった。
「わかば、これの生えていた場所を教えるナ!」
「いいですよ」
りなじはわかばの背中によじ登って前を指さした。
「皆さんの分を取りに行くんですか?」
連れだって歩くりなっちとりなよは首を振った。
「違うな」
「りんねえねにたくさん渡してあげるのナ」
「りんさんに?」
わかばは不思議そうに聞き返した。
「なー…りんねえね、すごく大変だったから」
「お父さんとお母さんが死んじゃってから、りんねえね元気ないんだな」
「りんねえねのせいじゃないのにな」
「りなこ達あまり色々できないけど…」
「幸運のお守りでいっぱい良い事あるように、いっぱい集めるんだな!」
「それならりなよ達でもできるナ」
「な」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら嬉しそうにはしゃぐ六つ子たちに、わかばは笑みを浮かべた。
「それなら、僕もお手伝いできるのでいっぱい探しましょう」
「なな!」
わかばを伴い六つ子はバタバタと人も通らない荒れた道を走りだした。

家に戻ると、いつもよりも帰りが遅いことに心配したのか、家の前でりんがウロウロしていた。
「りんねえね、ただいまな!」
声に気づいて振り返ったりんは、一瞬ほっとした表情を浮かべたが、すぐに眉間にしわを寄せて帰ってきた妹たちと、何故か一緒にいるわかばに向き直った。
「りなこ、何をしてたんだ?とっくに帰っているって先生は言っていたし…川に落ちたんじゃないかと心配していたんだぞ」
「ごめんなさい。りんねえね、ちょっとこれを探してたんだな」
りなっちから手渡されたクローバーの葉を、りんは手に取った。
「これは、いったい」
「四つ葉のクローバー!りんねえねにいっぱい取ってきたんだな!」
妹たちから渡された葉を、りんはそっと手のひらに包んで見下ろした。
全部で7枚の葉を手にりんは妹たちに目をやった。
「こんなに、一体どうして」
「りんねえねに幸せがいっぱい来るようにたくさん探してきたんだな!」
「わかばが1枚見つけたんだな!それでわかばが見つけた場所をてってーてきに探したんだな!」
「なんとなんと!りなじ達で6枚見つけたんだな!」
「前代未聞なんだな」
「きっと世界記録な」
りんを見上げ、六つ子は反応を見るように少し言葉を切った。
「…ありがとう。でも、日が落ちるまで外にいるのはだめだ。危ないからね」
りんは六つ子を引き寄せて肩を抱き、頬を寄せた。
「はーい。でもわかばがいたし大丈夫じゃないかな」
りなじはわかばの手をつかんで振りながら答えた。
「でもわかば、ドジだしな」
「さっきもなんもないところで転んだしな」
「あ、あれはりなぞうさんが後ろから押したからですよ」
「なー…まさかあれで転ぶとは思わなかったな」
「やっぱりドジだな」
「そんなっ」
あはははと笑いながら家の中に入る妹たちの数を確認して、全員いることを確認してりんは良しと頷いた。
もらった葉をポケットの中にあったハンカチで包みながら、りんはついてくるわかばに目をやった。
「…お前、一体何処までほっつき回っていたんだ。昼も食べずに」
「すみません、つい色々気にあるものがあって」
二人は玄関に入り、りんは靴の数を確認してから戸の鍵を閉めて、ガチャガチャと鍵がかかっているか確認した。
「…で、何かわかったのか」
「いやーそれがさっぱり。」
わかばは特に気にしないような調子で答えた。
「でも、りんさんが少しうれしそうなのを見れたので、良かったです」
「…なっ」
ぼっと頬が赤くなったりんは、廊下の奥から姉たちがこちらを見ているのに気づいた。心なしか嬉しそうだ。
「ね、姉さん!」
「あ、気づかれたにゃ」
「ななな!」
「逃げろー!」
ばたばたと逃げる姉妹を大股で追いかけるように奥に駆け込むりんを、わかばは見送った。

りんは、ぼんやりと部屋の天井を見上げた。
目が覚めて、ごろごろと時間をつぶしてみたが、眠気は完全にどこかに行ってしまっていた。
起き上がり、ちらりとサイドテーブルに置いた妹たちからもらった四つ葉の葉を包んだハンカチを手に取る。
幸せがいっぱい来るように。
りんは思わず息を吐いて、痛み出した頭を押さえた。
ハンカチを置いて、時計を見上げる。
午前2時半。
あと2時間程度で夜が明ける。
起き上がって服を着替え、1階に降りる。台所で水を飲み、ぼんやりと居間のソファに座って時計を眺める。

 じゃり、っと砂利を踏む音が聞こえたような気がした。
鹿か?
りんは立ち上がってそっと窓の外をのぞいた。
隣家も無いので明かりはほぼない。
夜の暗さに目が慣れて、月明かりの中で影が動いているのに気付いた。
何をしている?
りんは、窓から離れて客間のふすまをそっと開けた。
―――いない。
ふすまを開けて中に入り、りんは客間と仏間の中を見渡した。
布団はたたまれて使われた形跡もなく、部屋の中にはりょくの部屋から持ってきたと思われる辞書や学校の参考書、彼女の趣味で集められた歴史の本などが積まれていた。

 りんは、玄関に引っ掛けてあった懐中電灯を手に取って靴を履いて外に出た。
外は春を過ぎたとはいえ冷えた空気に包まれていた。ふっと息を吐くと白くなり、りんは首をすくめた。
影が移動したのは居間の掃き出し窓から回り込んで裏庭側だった。
りんは懐中電灯の明かりをつけて裏庭を回って外に出た。
緩やかな斜面が続く先にはりんが朝追加した電気柵がある。
その傍をふらふらと人影が仄かな明かりとともに移動している。
思わず懐中電灯の光を地面に向けて何をしているのか見上げようとした。
わかばは手にもった青い葉を手で何か操作し、柵の内側に置いた。
青白い光が差し、50センチ程度の壁が電気柵の内側に出現した。
「よし、とりあえず今日はこれで…」
わかばは軽く壁をコンコンと手でたたいてみて、満足したのかうんうんと頷く。
踵を返して降りてきたわかばは、りんと目を合わせて、驚いたのか手をバタバタとさせてそのまま前につんのめって転んだ。
「ぶえっ」
つぶれたような音を立てたわかばを引っ張り上げ、りんはため息をついた。
「こんな夜中に何している」
「いやー、なんか外でガサゴソ音がしてめっさ気になって、つい。りんさんこそ、寝ないと体に悪いんじゃないですか」
「少しくらいなら別に平気だ。お前ほどひょろくもないし」
「ひ、ひどい…」
わかばはガクッと肩を落としてうう、と呻いた。
「あれはなんだ」
りんはうっすら青く光る壁を見上げて問いかけた。
「あーっと、まあ見ての通り、防御壁を作るケムリクサを使ったんです」
「姉さんの植木に使ったのとは違うのか」
「あれはミドリで、こっちは青です。ほら」
わかばはいくつかの葉をりんに見せた。形もそれぞれの葉脈状の葉は仄かに光っていた。
「あの柵と同じように電気を操作するケムリクサもあるんですけど、僕、これの扱いあんまり得意じゃなくて…。あの柵の役目を補強するようにちょっと低く、長めに壁を引いてみたんです。多分この柵よりも大きいものでなければ大丈夫だと思います」
りんはわかばの持つ青の葉に手を伸ばした。
葉は、ふわふわとした触り心地で、ベルベットの布を触ったような感触だった。
「使ってみます?」
「できるのか」
裏庭の端にある石庭のつもりで置いたらしい石に二人は腰掛ける。
わかばははいと答えて一枚の葉を取り出す。
「覚えれば誰でもできますよ。こうやって」
わかばが葉に触れると葉がぴくりと一回振動し、再度強めに押し込むように触れると大きく震えてふわりと小さな六角形の盾のようなものがりんの前に浮かんだ。
「基本はみんな同じ操作で出来ます。」
りんは渡された葉を押してみる。
葉が一度振動してくるくると円が回ってすぅっと光が消えた。
「消えた…」
「今のタイミングでもう一度強く押して見てください。こう…」
「…!」
わかばはりんの手を取り、葉を持つ手を支え、操作する方の手に手を重ねて、葉が光ったタイミングでグッともう一度葉を強く押した。
微かに耳に空気が震える音がし、青い六角形の壁が小さくりんの前に現れた。
「こんな感じです。」
「あ、ああ…」
思いの外大きく骨張っているわかばの手をりんは思わず見やった。
りんの視線にきづいたのかどうか、わかばは仄かに発光する葉をもう一枚浮かべてりんの手元を照らした。
「もう一度やってみますか?」
りんは頷いて、先程の感触を思い出しながらそっと葉を押し、光ったタイミングで強めに押した。空気が震えてりんの手元に先程の壁よりも大きいサイズの壁が現れた。
「凄いですりんさん。初めてでそこまでのサイズを出せるなんて」
「そう…なのか?」
「ええ、僕、初めの頃はもっとこれくらいのしか出せなかったですから」
このくらいと、指で形を作ってわかばは笑う。
「手先が器用だからですかね。気になるなー」
わかばは嬉しそうに言いながら葉をりんから受け取った。
熱くなった?を押さえてコホッと軽く咳き込むりんに、わかばは大丈夫ですかと声をかけた。
「顔の辺りだけ温さがあるみたいですが…」
手をかざすわかばは心配そうにりんの顔を覗き込む。
「別に、大した事、ない」
「…そうですか。」
素っ気ない物言いのりんに、何か言おうとして考え直したのか、わかばは頷いてポケットの中から小さいサイズのミドリの葉を出してりんに渡した。
「ミドリは体の調子も治す事が出来るんです。」
茎の部分を食んで、わかばはすぅっと吸い込み、ふうっと吐いた。キラキラとわかばの体に緑色の光がまとわりつく。
どうぞと手渡されて、りんは見よう見まねで茎を口に咥えてすっと少し吸い込んだ。
「タバコくさい」
ふっと息を吐いて呟いた。
「え、すみません…嫌いな匂いでしたか…」
「いや…何というか、懐かしい感じがする。頭痛も治まった」
「…良かった」
わかばは嬉しそうに笑みを浮かべた。
りんは思わず緑の葉を咥えたまま大きく息を吸い込み、咽せて咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですかりんさん」
りんはわかばから視線を逸らして顔を押さえた。
家の中に入り、わかばはりんが自分の部屋に入るのを確認して客間に入った。
「さてと」
わかばは橙色のケムリクサを起動させて、本を広げて再び読み始めた。

りんは欠伸を噛み殺して目をこすった。
「りん、大丈夫?」
「え、あ、うん」
朝の作業を終えて朝食を取っている間、りんはすでに三回同じ事をしていた。
りつは少しの間逡巡していたが、言葉を選びながらりんを心配そうに見つめた。
「りんは大人だから、私がどうこう言うつもりは無いけど…あんまりハメを外さないでね」
「は?」
「夜、トイレに起きた時に部屋の戸が開いてたから閉めようとしたら居ないし…少ししたらわかば君と二人で戻って来たみたいだから…」
「あ、あれは獣避けの柵を見に行ったら偶々あいつがいただけだ」
「にゃー、そうだったの?つまらないにゃー」
「姉さん!」
りんの顔を面白そうに眺めてりつはコーヒーをカップに注いでりんに渡した。
「そう言う事なら、わかば君はもう少し寝かしておいてあげるかにゃ」
「まだ寝てるのか」
「本を抱えたまま座って寝てたにゃ」
「布団で寝ればいいだろうにアイツは…」
りんはブツブツ言いながら食べ終わった茶碗を台所に片付け、客間に入っていった。
ガタガタ物音がしてモゴモゴと弁明の言葉を口にするわかばにりんが短く返し、少しすると静かになってりんが居間に戻ってきた。
「どうしたのにゃ」
「布団の中に放り込んできた。」
「りんは本当わかば君の事心配なんだにゃー」
「別に、病気とかになったら面倒なだけだ」
山に行ってくると言って大股で出て行ったりんを、りつはいってらっしゃいと見送った。
相変わらず顔に出やすい妹だ。
耳まで真っ赤にしていた妹の顔を思い出してふっと嬉しそうに笑みを浮かべて、りつはゆっくりとテレビに目をやった。

 電話が鳴り、りつははいはいと手に取った。
「あれ、りょうちゃん、どうしたの、お仕事は?え、次の連休に帰ってくるの?わかった、待っているにゃ」
りつは電話を置いてカレンダーを見上げた。
姉たちが帰ってくる日はあと一週間といったところか。
「早速準備しなくちゃにゃー」
うきうきと台所に立って、ふと、何か大事なことを忘れているような気がしたが、すぐにまあいいかと肩をすくめた。

りょうは、はーっと息をついた。
「りくちゃーん、交代しよー」
助手席のりくはりょうにお茶のペットボトルのふたを開けて渡した。
「はぁー?まだ30分しか経ってねーべ?この先止まるところもねーし、そのままりょう姉が運転しなよ」
「だって眠いんだわぁ。」
「なんでー?昨日もりょう早く寝てたじゃん」
後ろの席で窓の外を眺めていたりょくはりょうに視線を移す。ついでに眠気覚ましミンティアを姉にぽいと渡す。
「いやーなんか寝付けなくって」
「遠足前の小学生じゃん。それじゃ」
りょくはため息をついてペットボトルのお茶を飲みながら窓の外に目を向けた。
「それにしても、前よりさらにボロボロ、っていうか。ガタガタっていうか」
「まー人の手が入らなくなれば荒れていくわなー」
ガン、と道路の溝にはまったのか何かに乗り上げたのか車が大きく揺れて三人は呻く。
「りょう姉。路肩の崩れている場所が前よりきついから、気を付けて」
「はいよー」
りょうは軽く答えて車の時計とカーナビの地図を眺めて呟いた。
「この感じだと夕方には着きそうだね」
「まーやっぱりそれくらいかかるか」
「なんかその前にお尻が平らになりそうじゃん」
りょくは体をもぞもぞと動かしてブツブツ呟いた。りくも頷いてごそごそと座る位置を動かした。
「確かに、なんか尻が痺れてきたっていうか…」
「んじゃーちょっと休憩してからりくちゃん運転交代しよー」
えーっとりくはりょうに目をやった。
「結局それかよー。しょうがねえなあ。りょくも早く免許取れよー」
「私は国際免許のほう取るから」
「なんだよそれ」
「いいでしょ、私がハーバードとかMITとか、入ったらまあ観光くらい付き合ってあげる」
「おーいいねー。楽しみにしてるわ」
がん、と車が再度車が大きく揺れて、三人は再度うえっと同時にうめいた。

「なんだあれ」
りょうから運転を変わったりくは、峠を超えてしばらく行った下り坂の先に転がっているものに気づいた。思わずブレーキをかけてスピードを落とす。
「ありゃー、あれは邪魔だわな」
「なんであんなところにコンクリートの塊が落ちているの」
後部座席からりょくが身を乗り出して道の真ん中に転がっている白い塊をじっと見つめた。
「これ、レンタルだから傷つけるのはなー」
「降りて退かすしかないじゃん」
「だな」
りくは障害物の少し手前で車を止めた。
「じゃ、ちょっと待ってて」
助手席にいたりょうが車から降りて転がっているコンクリートの塊らしきものに近づいた。退かそうと手を伸ばしてふとその手が止まり、りょうは車のほうに向きなおった。
「りょくちゃーん、ちょっと良い?」
「何よ」
「いやー、ちょっとこれ見てほしいんだけど…」
りょくはえーっと声を上げて車から降りた。
これこれとしゃがみ込んで指さす塊を見て、りょくは眉をひそめた。
「りょくちゃん、こういうの結構詳しいでしょ。私よくわかんないしさー」
りくは、少し考えてから車のエンジンをいったん止めて降りてきた。
「…なんだ二人とも。なんだそれ、石じゃないのか」
「何だか、前見たロボット掃除機だっけ?そっくりだよねー」
りょうの言葉にりくはそれをコンコン、と叩いてそういわれればそうかも、と呟く。
りょくは、転がっているそれをひっくり返して手でさすりながら考えこんだ。
りょうの言った通り、家電量販店で見かけたロボット掃除機とかいうものに確かに似ている。
平たい円筒形に上側と思われる部分にはモニターがある。しかし、掃除機にしては形がどうもおかしい。
何より、家電は普通プラスチック製が主流だがこれはどうも金属的だ。
その割に、どこか有機的な触り心地もある。
「どうしたりょく」
「…これ、ネジ穴とか繋ぎ目がない。しかも、ほら、裏側に4つ突起があるからこれが脚だと思うんだけど、ローラーとかそういうのがついてないの」
「はー。で?」
「で?じゃない。百歩譲ってこの足はいいとして、裏返しても表側も脇も何処にもつなぎ目がないのは変だって!はめ込みにしてもどこかに上蓋と下をはめる部分がないと止められないじゃん」
「…いわれてみればそうだねー。りょくちゃんすごいねー」
「…ほんと、残念姉…。ちょっと、これひょっとしたらすごいものかもしれないじゃん!りょう姉これ後ろのトランクに入れておいていい?」
「いいよー、でもりょくちゃん持てる?」
「意外に軽いから大丈夫」
りょくは白いメカを抱えて車のトランクに放り込む。
「…早速家に着いたら解体しないとじゃん!」
「ほんと、好きだよなーりょくは」
りくは良くわからない、という表情で首をかしげて車に乗り込んだ。
「りくちゃんは動物のことがないとあんまり勉強とか好きじゃないもんね」
助手席に戻ったりょうはおかしそうにりくに言うと、りくはばりばりと背中を掻きながら、
「まあもともと勉強好きじゃないからなー。仕事が絡まないとやってらんないっていうか」
「私も勉強あんまりだったからなー」
「りょう姉のは雑だからだべ。よく小数点うち間違えたりとかしてたし」
「そんなでよく調香できるね…」
「だーって、あれは匂いとかも判断材料だから何とかなんのよ。ただの計算とかはねー…。まあ今はパソコンとかあるし、助かるわー」
りょうはからっと笑って背もたれに寄り掛かった。
「あーちょっと足伸ばせたからラッキーだったな。」
りくは伸びをしてからキーを回してエンジンを入れ、車を走らせた。

三人を乗せた車は結局量の見立て通り、だいぶ日が傾いたころに家にたどり着いた。りくはいつも通り、作業小屋の手前に車を止めてふうっと息を吐いて腕を伸ばした。
「はー、疲れた」
「お疲れ様」
「おつかれ」
りょうとりょくは声をかけて車から降り、荷物を車から降ろした。
車の音に気づいたのか、りつが家の中からバタバタと走り出てきた。
「おかえりにゃー」
「ただいま、りっちゃん。元気そうでよかったわ。」
「とりあえず、荷物はいったん奥の部屋に置いてにゃ」
「はーい」
りつは廊下側の掃き出し窓を開けて三人が車から出した荷物を中にぽんぽん置いた。
「ああーりつ姉、それお土産のお菓子!つぶれるからまずいって」
りょくが慌てて掃き出し窓から中に入って荷物を移動させて並べなおし始めた。
「りょうねえねお帰りな!」
「おーりなっち、りなよちゃんただいまー。あれ?他の子は?」
玄関からぴょんと出てきた末妹達の頭を撫でながら、りょうは周りを見渡した。いつもなら六人全員で出迎えてくれるはずなのだが。
「りなむとりなぞうは遊び疲れて寝てるのな。」
「りなじとりなこはりん姉ねえねたちとお買い物に行っているな」
りなっちの言葉にりくは首をひねった。
「りんねえね、たち?他に誰か一緒なのか」
「わかばな!」
「荷物持ちな!」
妹たちの言葉に、りょうとりくは顔を見合わせた。
「わかばって誰?」
りなっち達は思わず顔を見合わせて、何かを察したのか
「なー、宿題しないとなのなー!」
「そうだったのなー!」
バタバタと二階に駆け上がっていった。
「ちょっとりつ姉、なんであたしの本ここにあるの?それにこれ、お父さんのTシャツみたいだけどなんで出してあるの?」
りょくの問いかけに、りつは少し固まって、あっと声を上げた。
りょうとりくは顔を見合わせたが、そこに、車のエンジン音が玄関側で聞こえてきた。
三人は何となく顔を合わせて玄関に目を向けると、りんともう一人、見たことのない青年が車から降りてきた。
コメの袋とお酒やペットボトル類をもって玄関に入ってきた青年は、きょとんと玄関で待っていた三人を見上げた。
「こ、こんにちわ。」
「ね、姉さん?もう帰ってきてたの?」
どうやら車の中で寝ていたりなよを抱えてきたりんは、驚いて三人を見上げた。
「まーね、朝早く出たんだよー。あ、ほら早くりなよ部屋に連れてってあげなよ」
「あ、ああ」
ぱたぱたとりなよを抱えたままりんは二階に上がっていく。りなじは、二人についていかず青年のそばに立ってりょう達を見上げていた。
「りつ姉、わかばの事…」
「にゃー…先に話すの忘れてたにゃ…」
かく、とうなだれてりつはごめんねと呟いた。
「りつ姉はうっかりさんだナ…」
りなじは少し眉をひそめてりつを見上げた。
「あの、すみません。わかば、と言います。りんさん達にお世話になってて…」
「あー、うん。いや、こっちこそごめんねーいきなり。その感じだと私たちが来ること聞いてないよね。私長女のりょうで、こっちが次女のりく、五女のりょく。」
「よろしくお願いします」
わかばの挨拶に答えてりょくとりくも頭を下げる。
「ていう事は、私の本持ち出してたのはあんた?」
「あ、はい、すみません。僕、りんさんに拾われるまでの記憶が無いので、本とかから思い出せないかと思って…」
わかばの言葉に三人はちらりと見合ってからりつに目を向けた。
りつは、あははは、と笑って視線をそらした。
「…なーんか、色々訳ありなんだな。まー、俺はりんが落ち着いてんならいいけど」
りくは幾分嬉しそうに、にっと笑ってわかばに目を向ける。
わかばはつられて笑顔を向けたが、よくわからない状況に目を白黒させていた。
「それは確かにそうだわなー」
りょうは腕を組んで頷いた。
「まー。あっちもこっちも、積もる話もあるし、今日は飲むか。ね、わかば君」
「え?あ、はい」
明らかに意味を読み取れていないわかばと、にこにこと嬉しそうに買い出しの荷物の酒を物色するりょうに、りょくは思わずため息をつく。
「りょうはいつもそうでしょ」
そうだっけ、と言いながらりょうは軽い足取りで台所に向かった。

わかばは、目の前に注がれた泡立つ液体を見つめた。
「これは…」
「あれ、わかば君ビールダメな感じ?」
りょうはにこやかな表情のまま首を傾げた。
「…びーるですか…?」
恐る恐る一口飲んでわかばは顔を真っ赤にして俯いた。
「なんだ、酒弱いのか。」
りくはぐいぐいと自分のジョッキを開けてふうっと息を吐いた。
「そういえば、私もりんも朝が早いから基本的に飲まないものにゃー」
「おい、別に二人に合わせて飲む必要はないぞ」
りんは俯いたわかばからビールを取って水と交換する。
「す、すみませ…」
ぐすっと目をこすりながらわかばはりんから渡されたコップの水を飲み干し、そのままぱたりと床に伸びた。
「ありゃりゃ、ごめんねわかば君」
「ら、らいろぶれ」
「いいから寝てろ」
「うぐぅ…」
起き上がろうとするわかばの頭を、りんは片手で押さえる。少しは起きようと力を入れてみたようだがそのまますうっと寝息のようなものが聞こえてきて姉妹たちは顔を見合わせた。
「なんというか、変わった子だわな」
「酒もそうだけど、食べているもの全部葉っぱってのもウサギとかハムスターとかっぽいっつーか」
りくは最後の唐揚げをりなむの皿に置いて、空っぽになった皿を退かした。
「わかば、寝てるところ見るのはじめてナ」
「りなじ達がいるとき大体起きてるナ」
「夜中もナ」
「りなぞう、夜中につまみ食いまだしていたの」
りんの言葉に、りなぞうはうっと顔をしかめて目をそらした。
「睡眠取らないと、普通体が変になるはずじゃん。平気なの?」
「ああ、2,3日くらいなら別に寝る必要はないと言っていた。妙な話だが」
「それ、絶対変じゃん…」
りょくは少し考えこむようにわかばを見ていたが、
「まさか、人間じゃないとか…は無いかさすがに」
りょくは首を振ってさらに残っていた寿司をぱくつく。
「…ま、なんにせよ、りんが元気になったのがわかば君のおかげなら、感謝しないとねー」
「…何でそうなるんだ。」
りんはわかばが残したビールを飲みながら思わずつぶやく。
「だって、わかば君と一緒に帰ってきたときの顔、ふにゃふにゃだったよー。びっくりしたわなー。うれしかったけど」
「…そんな事は」
りんは思わずりょうから視線をそらした。
「あ、明日の作業の用意があるから…もう寝る」
「おー、お休みー」
出ていくりんを見送り、姉妹たちはふっと息をついた。
「…まー、ゆっくり待つしかないか」
「ほんと、りくの言った通り、バカ真面目じゃん…」
「だべ。まあ、りんはそういうやつだからしょうがないけど」
「にゃー…。でも毎日楽しそうなのにゃ。りん、ほんと、よがっ…う、うええ」
りつはほろほろと涙を流しながらも、がしっと日本酒を手酌で注いで一気に飲み干した。
「だあ、まずい!りつがスイッチ入った!」
「お、落ち着くじゃん!りつ姉!ああもう手酌で飲んじゃダメだって!」
りくとりょくが慌ててりつの手から酒の瓶を取り上げようとするが、りつはやけに軽やかな手さばきでそれを払いのけた。
「にゃー!なんかいい調子になってきたにゃー!」
「お、んじゃりつ一緒に飲もうか!」
賑やかに騒ぐ姉たちを横目に、りなっち達はチャンスとばかりにもぐもぐと料理を口に運び続けていた。
「おいちょっとりょう姉そこは止めろ!」
苦労性の次女と五女は、頭を抱えた。

昔話

わかばは大きく伸びをして起き上がった。
随分寝ていたような気分になり、あたりを見渡す。
机の上は片付けられていたが、畳にそのまま寝転がって寝ているりつとりくとりょくの様子に、見なかったことにして廊下に出た。
外は明るく、どうやら夜が明けて少し経っているようだ。わかばは外に出て体を伸ばした。
「ピ!」
「ん?」
どこかから聞こえた音に、わかばはあたりを見渡した。
ごんごん、とりょうたちが乗ってきた車が揺れている。
わかばは車の裏に回り、ガタゴトと音がするトランクに耳を当てた。
「…んー…鍵がないと開かないのか。…でもこれくらいの単純な機構なら…」
わかばはトランクの金具があると思しき場所に手を滑らせた。
がちゃ、と音がしてトランクの金具が外れ、扉を開ける。
「ピピッ!」
「君は…」
トランクから、りょくが拾ったメカが顔を出した。なぜか勝手に起動している。
「…ピ!」
パカッとロボットの上部が開いてモニターが現れる。
<ワカバ カエル?>
「…かえる…?」
「ピ?」
「…ごめん、迎えに来た、ってことかな」
「ピ!」
わかばはよしよしと撫でながらつぶやく。
「…ごめん、君の事覚えていないんだ。とりあえずシロって呼んでもいいかな」
「ピ!」
シロと呼ばれたロボットは尻尾のようなものを振った。喜んでいるのだろうか、とわかばは首をかしげる。
「ちょっと、外を回ってくるから、また後でね」
わかばは手を振って、裏庭を通って山に向かった。
そのあとを、シロはどう見ても歩けないだろうという小さな足を動かしてよちよちと付いてきた。
「…一緒に行きたい、のかな」
「ピ!」
シロは返事をするように音を立てた。
「じゃ、一緒に行こうか」
わかばはふらふらと裏庭にまわった。
「…あれ?」
いつもならりんがいるはずだが、今日は姿が見えない。代わりに、りょうがりつの育てていた花に水をやっていた。
「えっと、りょう、さん?」
声をかけられ、りょうは水やりの手を止めて振り返った。
「ん?おー、おはようわかば君早いねー!昨日酔いつぶれてたみたいだけど大丈夫?」
「え、あ、はい。ご迷惑おかけしてしまって」
「いいのいいの。そういや、りんのお手伝いにでも来てくれた感じ?」
「あ、えーっとはい」
「そっかー。悪いね。りんもね、割とお酒弱いんだわ。昨日ちょっと気が緩んだみたいでさ、まだ寝てたから代わりにやってるんだ」
「…そうだったんですか。」
「外とかで飲むとほんと顔色変わらないんだけどねーりんちゃん。緊張しちゃうから。家とか気を許した人しかいないとね、ビール二杯でだめなんだよね」
「…なるほど」
わかばはいまいちわからないまま頷いた。
「…あ、そうだ。わかば君ちょっと付き合ってくれる?」
「え、あっとどちらに?」
「墓参り。うちの」
じょうろを置いて、りょうは園芸用のはさみで花をいくつか切ってわかばに渡した。
「いいんですか、切ってしまって」
「ああ、りっちゃんにちゃんとオッケーもらってるよ。母さんたちの好きな花もっていったほうがやっぱりいいしね」
じょうろを片付け、外水道の傍に置かれている手桶を手にもってりょうは歩き出す。
「そういえば、その白いの、りょくが拾ったやつだと思ったけど」
「さっき車のトランクの中で動いていたので、出してきたんです」
「へー。てっきり壊れてると思ったんだけど…。あ、気を付けなよー。あの子機械とか分解するの好きだから」
「ピ!?」
りょうの言葉にシロは慌ててわかばの影に隠れた。りょうはあははと軽く笑って庭を回って外に出た。わかばも急いで後をついて行く。
鳥の声だけする道をしばらく歩くと、かつての集落の端にコンクリートのブロック塀で囲われた墓地が見えてきた。
あちこち崩れていてあまり塀の意味がなくなっている。りょうは慣れた様子で奥の区画のほうに歩いていく。
雑草がそれなりに生えているにも関わらず、奥に行く道は比較的きれいに手入れされているようだ。
「ここだよー。わかば君、花貸して」
「あ、はい」
「あと、これに水入れてきてもらっていい?そこにあるから」
「わかりました。」
手桶を渡され、わかばはりょうが指した場所にある水道から手桶に水を入れた。
「持ってきました」
「おーありがとう」
りょうは手桶を受け取って水を柄杓ですくって墓石にかけて清めた。
「やっぱり、りんが手入れしているからきれいだね」
「…りんさんが」
「そ、月命日は必ず一回は行っているみたいだし、それ以外でもまあちょくちょくね…」
りょうは線香をあげると手を合わせた。わかばは見よう見まねで手を合わせる。シロも少し後ろで黙とうでもするように少し体を傾けた。
「悪いねー。付き合わせちゃって」
少しして、りょうはわかばに向きなおった。
「いえ…あの、このお墓は」
「うちの家の墓だよ。今日は母さんと父さんに声かけておこうと思って。りくとりょうはお昼頃に来るって言ってたから先にね」
「ご姉妹のご両親ですか」
「そ、聞いた?」
「詳しくは…」
りょうは、そうかそうかと頷いて歩き出した。
「ここね、学校がかろうじて小学校があるだけなんだわ。妹たちが中学行くようになったらどうしようもないんだわ。だからご近所の人が移動した少し山を下りた場所に移動しようか、って話が合ったんだけどね。二年前、かな、もう」
りょうは軽い調子で話しているが、視線はずっと道の向こう側を向いていた。
わかばは黙って、りょうの少し後ろをついて行った。
「そんな話があったから、りんだけ偶々休みが纏まって取れたからって帰ってきていたのね。で、りんと、両親三人で車で下見をしようって出かけたんだ。」
りょうは少し言葉を切り、うーんと肩を回した。
「で、帰り道に突然すごい雨が降ってきて、前は見えないし、道はカーブが多い山道だし、言っちゃあれだけど、道もあんまりよくないから…乗っていた車、路肩から下に落ちちゃったんだわ。」
「そんな…」
「りんは後部座席でシートベルトもつけていたから殆ど平気だったんだけど、前に座っていた二人はね。」
りょうはふと言葉を切って、少し黙り込んだ。
「…一応ね、生きてたんだわ。落ちた直後は。でも、この辺ちょっと山側に入ると携帯の電波が届かないから、電話は中々繋がらないし、人も来ないしで。すごい寒い日でねー、雨もものすごく激しく降っていて、あの子、電波が届く場所を探してどうにか電話して、車に戻って二人を何とか応急処置をしようとか頑張ったんだけどね…」
りょうは、ふと口をつぐんで立ち止まった。
足を挟んで動けなくなっていた両親を引っ張り出すことはりんには出来ず、壊れた窓から流れ込む冷たい雨が体温を奪われ、怪我から徐々に弱っていく両親を、りんはどうする事も出来ず、結局呼んだ救急車がたどり着く前に二人は息を引き取った。
呼び出されて病院に駆け付けた姉妹たちに、りんは泣きながら謝り続けていた。
「…謝って泣いて、何かの拍子に記憶が戻ってしまって、眠れなくなって。体も心もボロボロになってしまって、もう、見ていられないから、家で少し休養を取らせるようにしたのね」
わかばは何も言わずにりょうを見やった。
「…長話に付き合ってもらって悪いねー」
りょうは変わらない笑顔のままわかばに向きなおった。
「いえ、お話してくれて、ありがとうございます」
わかばはぺこりと頭を下げた。
「ほんと、わかば君、今時珍しいいい子だねー」
りょうは思わずぐりぐりとわかばの頭を撫でた。

りんが起きたのは、わかばたちが家に帰ってきてから少し経ってからだった。
わかばは、りつの育てている花の苗木に水をやり、成長の状態を確認していた。
ここ最近は食害の被害もなく、りつがわかばにあげたいくつかの花たちも芽を出し始めていた。
「おい」
「あ、りんさん。よく眠れましたか?」
慌てて起きてきたのかシャツのボタンがずれて、靴下も微妙に色が違っていたが、わかばはそこには触れずに声をかけた。
「ああ。その、姉たちが色々やって、悪かった」
ちらりと外を出る前に見かけた台所や客間の惨事の後を思い返し、りんは言った。わかばはおかしそうに笑って手を振った。
「平気ですよ。皆さん素敵な方たちですね」
「ん、いつも助けられている」
りんはわかばが水をやっていた花たちに目をやった。不思議なことに、まだ育ててから時間が経っていないにも拘らず、成長速度が違うように見えた。
「山のほうは僕とりょうさんで見ておいたので、今日はゆっくりしてください」
「それは…」
りんは、わずかに困ったような顔になり手持無沙汰気にわかばから視線をそらした。
「姉さんたちは?」
「りょくさんとりくさんは今りなっちさん達と山に遊びに行っていますよ。りょうさんとりつさんは二人でそこの作業小屋にいます。」
「ピ!」
「なんだそれ」
わかばの背後にいたシロが存在を主張するように音を出した。
「りょくさんが拾っておいてくれたんです。僕の事知っているみたいで…」
「ピ!」
シロのモニターに<ワカバ ホカ?>と表示され、そっと前に出てきた。
「こっちはりんさんだよ。りょくさんじゃないから大丈夫」
「ピ!」
シロはりんの周りをまわってモニターに<リン>と表示された。
「よくりょくに分解されなかったな」
「…いや、さっきそれで色々と騒ぎになってしまって…」
わかばは思わず口を閉ざしてふいっと顔をそむけた。何となく、何があったかを察してりんは、すまん、と思わず謝る。
「…りょくは昔から不思議なものに目がなくて」
「あはは、まあ僕もそういうのはなんか分かるなあ」
わかばは、ふと何かに気づいたように言葉を切ったが、すぐにりんに向きなおった。
「そういえば、この木、少し前から世話していたんですが、だいぶ元気になってきたんですよ」
わかばは思い出したように庭の端にある桜の木を指さした。
「…あれは殆ど枯れていたはずだが」
はい、とわかばは頷いた。
「ちょっと緑のケムリクサも使ってみたんです。」
「そんなにそれを使っていいのか?」
「ええ、別に」
わかばは事も無げに言って桜の木に近づいた。
りんは、改めて桜の木を見上げた。確かに、以前は何年も鹿に芽を食べられていて葉もほとんど無くなっていたはずだったが、ちらほらと緑色の葉が生え始めていた。
「この桜、数年前から花を咲かせられないくらい弱ってて…もう、枯れるしかないと思っていたが」
「僕はこの木の花を見たことがない気がします。りょくさんから借りた植物図鑑だと、小さい花のようですけど…」
「桜は単体で見るものではなく木とか、並木で見るものだ。」
「へえ、めっさ気になるなー。見てみたいなー」
わかばは木の幹に触れてつぶやいた。
「来年になれば見られるだろう」
りんの言葉にわかばは少し意外そうな表情を浮かべ、すぐにそうですねえと笑った。
「おー、りん、起きたのか」
「まったく、弱いのにお酒なんか飲むから…」
六つ子たちを連れて、山から下りてきたりくとりょくは、若干疲れた様子で庭に戻ってきた。
「ななー二人とも何してるナ?」
「りなじ、そこはほら、言うもんじゃねーぞ。黙って見守るのが妹ってもんだろ」
「なー、りくちゃんの言ってること分かんないナ」
「ナナ」
六つ子たちはめいめい木の棒や葉っぱや花や木の実をわいわいと庭に広げて遊び始めた。
その様子をりくとりょくは眺めて、お互い一瞬目くばせをしてりんに向きなおった。
「ところでりん。確かあの山の反対側って今持ち主変わってんだよな」
「ああ、詳しくは知らないが…。去年の暮れに林道を作っていたのか、あちらの道からはしばらく業者の車が出入りしていたが…それがどうした」
「いや、前言っていた土砂崩れっての?この間聞いた時よりも進んでいるみたいだからちょっとな」
「さっき反対側ちょっと見てみたけど、あの林道からどうも勝手にうちの方までタケノコとか山菜とか取りに入ってきてるみたい。」
「やっぱり、そう見える?」
「足跡とか、うちらのものとそっちの彼の靴とかサイズよりも明らかに大きさ違うし、ごっそり持ってってる形跡もあるし何人かいるんじゃない」
「…そうか。時期はもう落ち着いているとは思うけど、あとで見回りしてみる」
りんの言葉にりょくは首を振った。
「えー、やめときなよ。鉢合わせしたときあんた一人でどうするのさ」
「確かに。それに、あっち側、変に木を切って林道作ったせいで危ないぞ。崖みたいになっていた場所もあったし」
りくもりょくの意見に頷いてりんに目を向けた。
「…でも…」
「まあ勝手にとられるのはむかつくけど、どうしようもないだろ。毎日見張るわけにはいかないし。うちの土地で取ってません、勘違いです、なんてどうせ言って誤魔化されるのが関の山だぜ」
りくはぽんぽんとりんの肩を元気づけるようにたたいた。
「…ま、あんまり根詰めるなって」
「そんなつもりじゃ…」
「真面目過ぎるんだってりんは。もう少し適当にすればいいんだって」
二人は疲れたーと言いながら家の中に入り、六つ子たちもバタバタと後に続いて中に入っていった。
「りんさん?」
「なんだ?」
「今日は遅いので、もし行くのであれば明日のほうがいいと思います。」
わかばの言葉に、りんは少し驚いてわかばを見つめる。
「もし見回りをするなら、僕も行きますよ。一人で見て回るより、まあ、ちょっとくらいは意味があるかもしれないですし」
わかばの言葉に、りんは少し考えてから頷いた。
「まあ、ひょろっこくても居ないよりはましかもな」
「ひどいっ」
わかばはがくっと肩を落とし、ため息をついた。

りん

翌日もよく晴れていた。五月のこの時期は一番気温的にはちょうどいい。
りんは、日が少し上がってきた時間になってからわかばと共に裏山の奥に向かった。
「こっち側はあまり行かないですよね」
「ああ、昨日りくも言っていたが、山の反対側で作った林道の影響か、斜面が崩れやすくてな。」
うっすらと見える獣道のような道を、りんは邪魔な枝や草をよけながら進む。
りんの言う通り、わかばがざっと見ただけでも、山の斜面の一部が崩れてぱらぱらと土が崩れている場所が何か所かあった。
また、別の場所では人の手によると思われる木の伐採の後や掘り返したような跡も見える。
りんは硬い表情でそれらのあとをチェックして奥に足を進めた。
「りんさん、りくさんが崖崩れがあるっていっていましたし、もう少し慎重に行った方が」
「…別に、それくらいわかってる」
思いのほか強い口調になり、りんは、一瞬後悔したような顔でわかばに向き直ったが、何も言わずに目をそらして、そのまままた歩き始めた。
わかばは心配そうな表情でりんを見やったが、急いで彼女の後を追いかけた。
少し上るとふわりと、草のにおいとは別の、土のにおいがする風がわかばの頬を撫でた。気のせいか、風が下から巻き上がるように流れているようだ。
嫌な予感がして、わかばは思わずりんの腕をつかんで声をかけようとした。
突然、りんがわかばの視界から消え、がくっとわかばはりんの腕をつかんでいた方からバランスを崩して倒れこんだ。
「りんさん!」
とっさに地面の草をもう片方の手でつかんでわかばは何とか崖の端にわずかに体をひっかけた状態で踏みとどまった。
どうやら、中途半端な形で土砂が流れ、不安定だった場所にりんたちが立ったことで崩れてしまったようだ。わかばの掴んでいる草の辺りから少し先も亀裂が入っていて徐々に隙間が大きくなっている。
りんは、わかばの掴んだ手でどうにか落ちずにすんでいた。しかし、高くはないとはいえ、崩れた土がえぐれて十メートル程度の高さはある崖になってしまっている。
りんはほかにつかまる場所がないか探したか、目につくものは何もなかった。
このままだと、二人とも地面にたたきつけられて死ぬだろう。
りんは、震えそうになる声をどうにか誤魔化すように、上にいるわかばに言った。
「…手を放せ」
「何言ってるんですか」
「このままではどっちにしろどうにも出来ないだろう。私はそれなりに頑丈だし、うまくいけば着地して…骨折くらいで何とかなるかもしれない。このままだと二人とも落ちてしまうだろう」
「…そうですね、手が使えないので…」
わかばはふと何か思いついたのか、りんに声をかけた。
「すみません、りんさん。ちょっと目を閉じててもらっていいですか?」
「は?お前何を言って」
「いいから、お願いします。さすがに手がもう辛いです」
りんは訳が分からなかったが、わかばの指示に従って目を閉じた。
「たぶん、大丈夫だと思いますけど、怪我したらごめんなさい」
わかばの声が聞こえ、ふわりと支えを失った体が落下するむず痒いような感覚と風を切る音がした。
来るだろう痛みとショックに耐えようと強く目をつむり体を緊張させたりんは、衝撃とともに、何か柔らかいものの上に着地して転がった。
「…?」
目を開けると、落ちてきた崖の上が見える。パラパラと砂が落ちてきていたが、上には何も見えない。
しかし、思ったよりも痛みはないのはなぜだ。
ふと、思い当たって慌てて起き上がる。
「お前…」
「…あ、りんさん、大丈夫そうですね」
自分の体を緩衝材代わりにして落ちたわかばは、あははと軽い口調で笑ってりんを見上げた。
「何考えてるんだ、下手をすれば…」
りんは、ふと手に何か水のようなものがついているのに気付いた。
「…これは…」
りんは身を起こしてわかばの体を見た。
「すみません、ちょっと落ちる場所が悪かったみたいです。」
「そんな、だって、これは…」
落ちてきた崖の下には、どうやら崩れた土のほかに、崩れた部分に生えていた木の根や枝なども落ちていたようだ。
わかばは、落ちた場所に転がっていた木片で脇腹を貫かれていた。
じわじわと血が服からにじみ、わかばの顔の血の気がどんどん引いているのが分かった。
「おい、しっかりしろ。…止血して、動かさなければとりあえずは血は何とかなるから…あとは救急車を…」
りんは震える手でスマホを取り出した。
壊れていない。
りんは、画面を見て思わずくそっと罵った。スマホの表示は圏外と表示されている。
「…また…こんな…。…すぐに救急車を呼ぶから…」
立ち上がろうとするりんの腕をわかばの手が押さえておっくうそうに首を振った。
「りんさん、僕の体…構造が…違うので、開腹手術は…ちょっと無理なんです」
「何…訳が分からないことを…だって、このままだと死ぬじゃないか」
わかばはポケットをどうにかあさって、持っていた緑の葉を一枚取り出した。
「それ、使うのに…刺さっているのが、邪魔で…」
わかばは、少しすまなそうにりんに呟いた。
「それを、抜いて…そうしたら、緑の葉で…直せるので…りんさん」
お願いします、とわかばはふうっと息を吐いた。
りんは、泣きながら首を振った。
「無理だ…。そんな、そんな事したら血が…」
「僕は、りんさんたちよりも頑丈なので…お願い、します。」
りんは、涙をぬぐって深呼吸をしてわかばを見下ろした。
正直、救急車を呼んでもいつ来るか、まったくわからなかった。
すでにわかばの呼吸は弱くなっており、もし、これで何とかなるのであればそちらの方が助かる確率は高い。
りんは、目をこすって頭を振った。
持っていたハンカチを小さくたたんで厚みを出し、わかばの口に噛ませる。
はあっと大きく息を吐いて、りんは木片を引っ張った。
わかばは息を吐いて地面に爪を立てた。
「…っう」
りんは引き抜く木片から伝わる感触に泣きながら力を入れた。
ずる、と体から木片が抜けると、わかばの体からがくりと力が抜けた。
「…おい、取ったぞ。早くそれを使って…」
りんは血で真っ赤になった木片を放ってわかばの顔を覗き込んだ。
「…おい」
思わず、耳を口元に近づけたが呼吸音がまったくしない。
「…息が」
りんはわかばの頬を軽くたたいて、もう一度声をかけた。
涙をぬぐいながら、わかばが手に持っている緑の葉を手に取る。
「これを、どうすればいいんだ。わかば…」
傷口に近づけてみるが、特に何も起きない。
「どうすれば…私はこれを使えないんだ…お願いだから…」
りんは二年前の時のことが脳裏によぎりそうになるのを必死に打ち消しながら考えた。
「…強く、押して…」
わかばが青い葉で使い方を教えてくれた時のことを思い返す。確か、基本的にどれも同じ起動方法だと言っていたはずだ。
緑色の葉がぴくりと小さく震えて、仄かに光りだした。
「…一回震えたところで、円が出てきたところでもう一度押して」
葉が強く光りだし、りんは急いで傷口に近づけた。光が傷口にまとわりついてはじけた。
「…わかば…?」
肩を小さくゆすると、わかばがううっと呻いて目を開けた。瞬きをして首を振りながら起き上がり、りんに笑みを浮かべる。
「お、まえ…」
りんは体を震わせてわかばに抱き着いた。わかはばうっとうめいてそのまま倒れこむ。
予想外の行動にわかばは目を白黒させた。
思わず起き上がろうとすると、りんがほうっと息をついてつぶやいた。
「よかった。生きてて」
わかばは少し、体から力を抜いてりんの肩に手を置いた。
「…りんさんなら大丈夫だと思ってたので。でも、助けてもらってばかりで申し訳ないです」
りんはぐりぐりとわかばに顔を押し付けたまま首を振った。大きく、深呼吸すると薄荷とタバコの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「…わかば」
りんが顔を上げてわかばを見上げ
後ろに目が行ってひくっと顔が引きつった。
わかばはりんの目線を追って寝たままの状態で頭をそらせた。
シロがひょこっと草むらの中から顔を出し、その後ろからりくの顔がちらりと見えた。
「ピッ!ピ―ッ!」
がしゃがしゃとわかばの傍に寄ろうとするシロを、りくが必死に押さえ込みながら物陰に隠れる。
ちらりと見えたシロのモニターには<ワカバ セイタイハンノウ キケン>と書いてあったようなので、どういう理屈かは分からないがわかばの異常に気づいて姉妹たちを連れてきたのだろう。
タイミングは最悪だったが。
「…り、りく!ちょっと待って」
慌てて起き上がるりんに、りくは手を振った。
「いーのいーの、姉ちゃんはお前の味方だ、うん!じゃ、お前ら夕飯までには戻って来いよー」
「あーあ、見つかっちゃったナ」
「しょうがないじゃん、このメカが騒ぐんだから。つーか、あんた達なんで来てんのよ。ガキにはまだはやいし」
「りょくちゃんにも早いと思うのにゃ。」
「ほらみんな帰るよー」
わらわらと出てくる姉妹たちにりんはうわああっと頭を抱えた。
「りんさん、僕らも帰りましょう。色々あって、疲れたでしょう」
わかばは立ち上がり、りんに手を差し出した。
りんは、ううっと呻いてつぶやいた。
「…こ、腰が抜けて…立てない…。さ、先に帰ってろ。後から行くから」
りんは恥ずかしさから顔を真っ赤にして地面に目を向けてぼそぼそと答えた。
わかばはなるほど頷いて、少し考えこんだ。
「じゃあ僕がおぶっていきますよ」
「お、お前が?無理だろう、重いし…お前軽いし」
「い、一応りんさん抱えることはできます。多分…」
わかばはしゃがんでりんに背中を向けた。
「…潰れたらシャレにならないぞ」
「大丈夫ですよ」
りんはわかばの首に手を回して体をわかばの背中に預けた。
わかばはりんをおぶって立ち上がった。りんは一瞬倒れるかと思ったが、わかばは特に体がふらつくこともなくそのまましっかりとした足取りで歩きだした。
りんは、緊張が解けたせいか強い眠気を覚えて目を閉じた。
眠りに落ちるりんの耳には賑やかに話す姉妹とわかばの声が聞こえてきた。

「なんだよ、せっかく二人きりにしてやったのに」
りくは幾分つまらなさそうに後ろから来たわかばたちに声をかけた。
「え、あの、すみません。」
「りんねえね、寝ちゃったのな」
「大変でしたから」
「びっくりしたよ、この白いメカがいきなりピーピーサイレン鳴らしてウロウロしだして」
りょくはいつの間にか小脇に抱えたシロを撫でながらわかばの隣に並ぶ。気のせいか、シロの足がバタバタと助けを求めるように動いているように見えたが、わかばはとりあえず気のせいと思うことにした。
「にしてもあの崖から落ちてよく無事だったなお前。」
「まあ、頑丈なので」
「…頑丈、ね。まあ話す気がないならとりあえず黙っておくけど」
りょくはわかばをじとっと睨んでわずかに不満げに呟いた。

りんは目を開けて、自分部屋の天井を見上げた。
時間を確認すると、思いのほか時間が経っていないことに安堵して、起き上がって階段を下りた。
庭の方で遊ぶ声がする。
りんは、何とはなしに客間に顔を出した。
わかばは縁側に座っていた。手でシロを撫でながら外を眺めている。
縁側に近づくと、物音に気付いてわかばが振り返りりんを見上げた。
「あ、おはようございます。りんさん」
「…おはよう」
横に並んで座り、りんはわかばが眺めていたほうに目をやる。
「…お前の方は、休まなくていいのか」
「ええ、地球の人よりも丈夫なんで」
「そう、か」
りんは足元に視線を落とした。
「…ここは、すごく楽しいですね。色々な事が短い時間で移り変わって。」
「お前の故郷では違うのか」
わかばは、少し考えてぼんやりと呟いた。
「そうですね、昔はどうだったかわかりませんが。少なくとも僕が生まれたときは住みやすく管理された世界でした。穏やかで、静かで、ヒトも分散して生活するようにされていたのであまり見かけないんですよね」
わかばはふと黙り込み、頬を掻いた。
「僕、見えないかもしれないですがりんさんたちよりも長く生きてるんです。」
「とてもそうは見えないな」
「う…やっぱり…」
わかばはがくっと肩を落とした。
「いつくらいから、記憶が戻ってたんだ」
「細かい部分は時々ふっと頭に浮かんでいたんですけど、全部思い出したのは崖から落ちた時ですね。」
「…これから、どうする」
りんの問いかけに、わかばはふっとりんから視線をそらしてシロのほうに目を向けた。
「どちらにしろ、音信不通のままそこそこ時間が経っているのでこのまま放置はまずいですね。それと、もろもろ、処理しないといけないこともあるので…」
「…それからは?」
「そうですね、…気持ちとしてはここに居たいですけど…。」
わかばは口をつぐんで庭の方に目をやった。
「…私はお前ほど長生きではないからな。そんなに長くは待っていられないぞ」
りんの言葉にわかばはりんに向き直り、ふっと嬉しそうに頷いた。
「はい、分かっています。出来る限り早く、戻りますので」
わかばは立ち上がって縁側から外に出た。そのあとを、シロが付いていく。
「…じゃ、行ってきます。りんさん」
「ああ、気を付けて」
りんは軽く手を振る。わかばは手を振って少し歩いて家から離れる。
「シロ、よろしく」
「ピ!」
シロのモニターが動いて文字が表示される。

<テンソウ ショリヲ カイシ>

空間に六角形の穴が開き、わかばとシロの立っていた場所の空間がゆがみ、りんが瞬きをした瞬間、わかばとシロの姿は跡形もなく消えていた。

わかばと

りんは、額の汗をぬぐって息をついた。
蝉の音と、りんが振るう鉈の音だけが響き、時折ひんやりとした風が吹いてくる。
八月も中ごろになれば、少しは息もつける。
家から持ってきていた水筒からお茶を飲んで、切り株に座って少し休む。
「りんねえね、もうお昼なんだな!」
「早く帰るんだな!」
坂道を登ってきた妹たちに、りんは大声で返事をした。
道具をもって山を下りてくると、下から六つ子が駆け上ってきた。
「みんな待ってるんだな!」
「ああ、そうだった…。忘れてた」
りんは妹たちに続いて急いで裏庭を通って玄関に顔を出した。
「…遅いぞーりん!」
「お素麺、ぬるくなっちゃうぞー」
りょうとりくが音に気づいて居間から顔を出した。
家の中はこの時期にもかかわらずエアコンをつけていない玄関でもひんやりしている。
「…ごめん、ちょっと切りがいいところまでやってて。先に食べてていいよ」
「あんまり根詰めると、熱中症なるじゃん」
りょくはタオルを渡してため息をついた。
「山は意外に涼しいよ」
「そういう事じゃないって…、ほんとにもう」
「まあまあ、りょくちゃん…。りん、早く手を洗ってくるにゃ」
「うん」
道具を玄関先にとりあえずおいて、りんはばたばたと靴を脱いで洗面台に向かった。
制汗剤とタオルでいったんさっぱりさせてから手を洗ってくると、居間ではめいめい大きな器にどんと置かれた素麺をすすっていた。
前日からお盆を過ぎて、ようやっと仕事が一段落したりくと共に来たりょうたちは、ちらりと家の中に目を向けた。
「わかば君は、まだ来ないんだ」
「まあ、色々処理があると言っていたからそんなにすぐには無理じゃないかな」
りんはこともなげに答えた。
姉妹は思わずお互い目を合わせた。
「…何?」
「何でもないにゃ。りんが納得しているならいいにゃ」
りつは手を振って笑みを浮かべた。
「…?そう?」
りんは不思議そうに首をかしげた。

食事を終えると、りょうとりくは六つ子にせがまれて、庭にプールを出すために出かけて行った。
りょくはりつと共に近くのスーパーに買い出しに出かけ、りんは一人で家でぼんやりと留守番をすることになった。
お盆を過ぎたせいか、暑いとはいうもののこの辺りは比較的過ごしやすい。
風鈴の音がちりちりとなり、りんは開け放たれた窓からそよぐ風を浴びて、縁側に座って柱に体を預けて目を閉じた。
ふわりと、風の中に薄荷とタバコの香ばしい匂いが混じったように感じてりんはうっすらと目を開けた。
「…すごい暑さですね。これが夏ですか…」
わかばは額の汗をぬぐいながら呻いた。
「ピ!」
足元にはシロが小さな足をひょこひょことさせながら付いてきている。
「…だいぶマシになったほうだな。それにここは山が近いから涼しいほうだ」
「ええっそうなんですか?」
りんの横に座ってわかばはふうっと息をついた。
「もう少しすれば秋になるから、それまでは我慢だな」
「秋ですか。」
「この辺りは紅葉が多いから山全体が赤く色づいて奇麗なんだ。野菜や果物なんかも旬のものが多いしな。まあ、冬になれば今度は寒さが厳しいが。ここは雪が深いから静かで、見る分には奇麗なんだ。」
「僕、雪とか見たことないです。気になるなー」
嬉しそうなわかばに、りんは問いかけた。
「…何とかなったのか」
わかばは乾いた笑みを浮かべて頬を掻いた。
「そうですねー、まあ何とか。」
あははと笑ってわかばは答えた。
「よろしくお願いします。りんさん。」
「…こちらこそ」
りんは、つられてふっと笑みを浮かべた。

風鈴がちりちりと風に揺れて鳴り、二人はそのまま縁側で庭を眺めていた。