最果ての楽園の少女

どこまでも広がる青い空にかすむ雲が時折たなびき、青い海はどこまでも広がり水平線はどこまでも平らだった。
りなは日課である朝の見回りでしばらく海を眺めていたが、やがて飽きて立ち上がった。
「なー、今日は何も落ちてないな」
誰とはなしに呟いた言葉に
「そんな毎日何かあるものでもないな!」
「森にいったりなこがなんか見つけたみたいだな」
ひょこりと後ろからりなじが報告し、りなよとりなっちは振り返った。
「なな、じゃあ森の方に行くな!」
「了解な」
りなは砂浜の上をぴょんぴょん跳ね飛びながら森の方に駆け上っていった。砂浜は強い風に砂があっという間に流され岩場になり、その岩は風に吹かれて転がりあちこちでぶつかりながら再び砂になって別の砂浜になったが、りなはそんな様子には頓着することもなく、彼女が森と呼んでいる木立の中を分け入った。
森の中を進むと開けた場所に出た。その先にはりなこが椰子の実のような物をもって転がしていた。
「な、どこにあったのな?」
「ここに一個だけ落ちてたんだな。でも中身何も入っていないな」
こんこんとりなこが実を叩くと、空っぽの椰子の実の中からカラカラと鈴の音がした。ぽいっと放り投げるとりなよとりなぞうがなんだーと肩をすくめた。
「ここ最近全然良い物が落ちてないな……」
「しょうが無いな。とりあえずまた駅に行こう」
りなは一人で森を抜けて島の反対側にある無人駅にたどり着いた。何のためにあるのか誰も知らないその駅には、時折マッチ箱のような一両の電車がやってきて、しばらくすると勝手にどこかに走り出していた。何度か乗っていくことも考えたがどこに行くのか分からない電車に乗るのは嫌だとりな達の反対にあって結局いつも見送るだけだった。
「まっだかなー、まっだかなー」
りなはぽつんと立つ駅の構内に入ると駅名を見た。相変わらず駅名は風雨にさらされたせいかペンキが剥がれて読めない。かろうじて行き先に「福」の一文字が読めるだけだった。
かたん、かたん、とどこからか規則正しいリズムを刻んで何かが遠くから近づいてきた。
「来たな来たな!」
線路の向こうを、身を乗り出して眺めていると、りなよが首をかしげた。
「どうせ何もないんじゃないかな」
「確かに、今までも何もなかったしな」
「じゃあ、いっそ乗っていっちゃうのはどうな?」
「えー」
「危ないな」
「……」
それぞれ好き勝手言いながらわいわい待っていると、クリーム色と緑色の二色の車体の電車がすうっと駅に入ってきて止まった。
ドアが開いて、りな達は中を覗き込み
「……え……?」
座席にぽつんと座っていた青年は、ぽかんとりな達を見つめて首をかしげた。
「なな!?」
「人が乗っていたな!?」
きゃーっとりな達はバタバタと電車から離れて駅のホームから飛び出した。その後を、青年が慌てて追いかける。
「ちょ、ちょっと待ってください一体ここはぐあっ」
顔面からホームの段差に躓いて、青年はばたりと床に倒れて伸びた。
「鈍くさすぎないかな……」
りなじが恐る恐る近づいて、頭をその辺にあった木の棒でつつくと、ううっと呻いて顔を上げた。
「えっと……」
「なー……お前、どこから来たな?」
「え……いえ、そう言われても、気がついたらあの電車の席に座ってて……ずっと……」
青年はふらふらと視線を彷徨わせて首を振った。
「名前はなんて言うな?」
「わかば……」
青年は囁くように呟く。ガタン、と音がして全員が振り返ると、電車のドアが閉じて、再び音を立てながら島の端にある岩山を突き抜けるトンネルの中に消えていった。
「あのトンネルの向こうは?」
「知らないな。ずっと向こうまで続いていたけど真っ暗だし」
「真っ暗?」
わかばは首をかしげて山を見上げた。山は島の端を区切るようにあり、その向こうは特に何も無い。向こうまで続いているならばすぐに山の反対側である島の向こう側が見えるはずである。
「……確かに、真っ暗ですね……」
りな達に案内されてわかばは不思議そうに線路が見えなくなる遙か向こうを見つめた。
「なー……それより、おい、わかば」
「はい、何でしょう」
「折角だからりな達が遊んでやるのな」
「りな、達?」
「りなっち、りなじ、りなぞう、りなよ、りなこ、りなむの六人だな!」
りなが説明すると、わかばは混乱した顔で
「え、でも今は一人ですよね?」
「そういうときもあるな。りな達はいつでも増えたり減ったり出来るんだな」
「こんな風に」
「どれが誰か分かるかな?」
「ななな!」
背後から全く同じ、まるでコピーのようなりなが複数現れ、わかばは頭を抱えて
「そ、そんな馬鹿な人間が単純分裂する訳が……」
と何かブツブツと言っていたが、その背中にりなっちとりなよがしがみつく。わかばは突然かかった荷重にうっと呻いてバタリと地面に倒れ込んだ。
「何をブツブツ言ってるんだなわかば」
「ここはいつもそうだな。お願いすればそのうち叶うのな」
「お、お願い?」
わかばが起き上がってりな……っちかりなよを膝の上にのせると、わらわらとりな達がわかばに寄ってきた。
「そうな、今日は面白い物が無かったから何か来ないかなーって思ったらわかばが来たな」
「この前はたくさんのおもちゃが流れ着いてきたな」
「更にその前にはケーキがいっぱい落ちてきたんだな」
りな達の発言にわかばはううっと呻き
「め、めちゃくちゃだ……」
りな達はわかばを引っ張って駅とは反対方向にある砂浜に向かった。
「さあさあ、さっさと遊ぶのな!」
「なな!」
わかばは少し考えてから、
「そうですね、どちらにしろ帰る手段もないですし」
「帰る?」
「帰るって? どこに?」
りな達は不思議そうに首をかしげてわかばを見上げた。
「え、りなさん達はずっとここに居るんですか?」
浜辺へ向かって歩く六人の後ろから歩きながらわかばは問いかけた。りなっちが頷いて
「そうだな、ずっとここに居るな」
「その、ご両親は」
「? 両親? 何なのな?」
りな達は口々にわかばに向かって問いかけた。
「いや、あの僕はあの電車できましたけど……りなさん達は」
「気がついたらここに居たのな」
「ずっと前からな」
「電車に乗ってきたとかではなく……?」
わかばの問いに、りなはうーんと考え込み
「さあ、覚えてないな」
りなは砂浜へ出ると遙か先まで何も見えない海を指さした。
「あっちの方からいろんな物が流れてくるんだな」
「……これは……」
わかばは砂をすくい上げて、不思議そうに首をかしげた。
「砂……?」
珊瑚やガラスのような鉱石が砕かれた物とは質感の違うそれをわかばは首をかしげて見つめた。そして、向こうまで見える海を見つめてふと気付き、上を見上げた。
「あの、太陽はどっちにありますか?」
「たいよう?」
りなは不思議そうに首をかしげた。
「何それ」
「ええ、だって、こんなに明るいのに……」
わかばは首を巡らせて、明かりの元を探したが、空全体が光っているかのように光源は見当たらなかった。
「おかしな奴だな」
「海に落としちゃうな?」
「や、止めてくださいよ」
わかばは慌てて海から離れ、りな達は笑いながらわかばに飛びついて引っ張った。
「なー、何して遊ぶな?」
「うーん、人数がそこそこ居るから何でもできそうですが」
「じゃあかくれんぼ、わかばが鬼な」
「ええ、でも、一人になったりされたら僕分からないですけど」
「大丈夫な! そんないかさまはしないのな!」
言いながらりな達はバラバラに飛び出していった。わかばは、目を閉じて十まで数え始めた。
「……九……十! もういいかい」
「もういいよー」
りな達の声が聞こえ、わかばはちらりと海の方に目を向け、隠れたりな達を探すために歩き出した。

「なー、まさかこんなに簡単に見つかるとは……」
りなはごろごろと転がって不満そうに口をとがらせた。
ベンチに座るわかばはニコニコと笑って、りな達が拾ってきた草や流れ着いた物を手に取っていた。
「すみません、つい、久しぶりで」
わかばは手に持っていた草を横に置いてりなに向き直った。
「なんだか、暗くなってきましたね」
「夜だから当然だな」
りなは欠伸をしながら地面に転がって足をパタパタと振った。
「夜はいつもどこで寝てるんですか? 建物とか……無いですよね」
「駅の中とか……砂浜で寝るんだな」
「ええ、危なくないですか?」
わかばの言葉に、りなは平気平気と言って立ち上がり、わかばの手を引っ張った。
「こっちに良い場所があるんだな」
わかばはりなに導かれるまま浜辺の方に向かった。暗くなってくると、浜辺に向かう道もほぼ見えず、わかばはつまずきながらりなの後を追いかけた。
「よく見えますね」
「勘だな!」
元気よく歩きながらりなはわかばに言い、浜辺の少し手前から山の方に向かった。トンネルを横目に左の方に歩くと、小高い丘のような、開けた場所に出た。
「へー、結構いろんな場所があるんですね」
「そうなんだな! ここは最近できた場所みたいだけどな」
「え?そうなんですか?」
「なな、この島、いつの間にか形が変わってたりするからな! 毎朝起きて島の様子をチェックするんだな!」
りなは丘の上に寝転がるとわかばを手招きした。同じようにしろと言うことかと、わかばは横に並んでりなと同じように仰向けに寝転がった。
「これは……」
「キラキラしてるな?」
りなの言うとおり、見上げた空は暗く、あちこちで星の光が瞬いていた。そして何よりもわかばが驚いたのは、島の上に光の筋が何重にもなって遙か向こうまで伸びている事だった。天の川は星の粒だが、これはどう見ても一本の細い線が幾層も重なっているように見えていた。流れ星のように端から端まで何かが飛んでいるのだろうか。わかばは魅入られたように見つめて考え込んだ。
「毎日こんな感じなんですか?」
「そう、かな? でも最近はこの線の数が減ってるんだな」
「そうなんですか」
りなは手を伸ばして光の筋を追いながら
「昔はこれくらい大きいのが何本もあったのな。でも今はあの細いのだけなのな」
「今でも十分綺麗ですけどね」
「ななー。まあそうなんだけど……」
りなはふと気付いたのか
「そういえば、ここ最近は全然新しい物も流れてこないし島自体が小さくなってるみたいだな」
「そうなんですか?」
りなは頷いて
「昔はもっといっぱい歩き回れたのに今は反対側にすぐ着いちゃうんだな」
「何でだろう……気になるな」
わかばは思わず顎に手をやり考え込んだが、ごろりと転がってきたりなに乗っかられてうっと呻いた。
「なー、そんなの気になるとか変な奴だなわかば」
りなはにやりと笑って
「りなの方が島のことは詳しいんだから、りながお姉さんになってやるんだな」
わかばは一瞬きょとんとした表情を浮かべたがすぐにへらりと笑って
「はい、よろしくお願いしますね」

島でのりなの生活は基本的に、朝は何か面白い物が海から打ち上げられていないかを調べる事、無ければ島の中をぐるっと回ってパトロールしながら新しい何かが落ちていないかを探し、それも無ければ夜になるまで遊ぶという単純な流れだった。
島の外から何かが流れてこないかというのは分かるが、わかばは何故島の中に何かが落ちているか探すかを問うと
「時々知らない物が生えているから」
という不思議な返答が返ってきた。基本的にりな――達は細かいことを気にしないらしく、わかばが島で起きる不思議な事象について問いかけると、知らない、そうだったか? 覚えていないで返されることが多かった。
ふっと息を吐いてわかばは砂浜に座り込み、どこまでも見える水平線を見つめた。どこまでも平らで恐ろしいほど先まで見えるが、見える全ては平らで島の先に他の陸地などが見える気配は無かった。
電車はわかばが来てからは来る気配は無く、またそもそもわかばが見る限り線路はどこにもなかった。
「おーい、わかば! 何してるな? 何か見えるな?」
少し体が小さい事に気付いて、わかばはそれがりなの中の一人だと言うことが分かった。
「いえ、何も見えないですね……」
わかばは振り返ってりなの一人――恐らくりなじではないだろうか――を見上げて
「他のりなさん達はどうされたんですか?」
「みんなで遊んでるなー」
りなじはわかばの隣に座り込んでわかばが眺めていた海を見つめた。
「何にも無いんだナ、ここ」
「ええ、まあ」
りなじは手元の木の枝を拾い上げて、無造作に振ってから囓り始めた。
「ええっ!? ちょ、ええっとりなじさん!?」
「なー、よく分かったなわかば」
「いや、えーっと、その……そんなの囓っちゃ駄目では。おなか壊しますよ」
「平気な。色々食べてみたりしたけどどれも何も感じないのな」
「え?」
ほら、とわかばは差し出された木の枝を恐る恐るりなじと同じように囓ってみた。枝は簡単にかみ切れて口の中で溶けるように消えてしまっていた。わかばは思わず口に手をやるが、かみ切ったはずの繊維のようなものもまるで感じなかった。
「これは一体?」
「さぁ……? りな達はこれが普通だからな。わかばは違うのな?」
「僕の記憶にある木の枝というのはもうちょっと……繊維質というか、土の匂いというか……」
「どれもよく分からないなー」
りなじは首をかしげて不思議そうにわかばを見やった。
「りなじさんはその、感じないと言っていましたけど」
「うーん……何となく、ずっと昔おいしい物を食べたような気がするんだけど、りな達ずっとここに居るはずだから……」
「僕から何かわからないかと?」
「……」
りなじは悩ましそうに眉を寄せて首をかしげた。二つに分けて結ばれた髪を指で弄ってどう言えば良いのか悩むように
「……わかばが乗ってきた電車は時々空っぽの状態でここまで来るんだな。本当はりな達――私はアレに乗って帰らないといけないんじゃないかって思って」
言いながらりなじは首を振って立ち上がった。
「な、よく分からないな」
パタパタと走って行くりなじの背中を見送り、わかばは立ち上がって海の方に目を向けた。
どこからかうねるような低い音が鳴っているような気がして、わかばは首をすくめてりな達の居る方に歩き始めた。

どのくらいの時間をその島で過ごしたのか、わかばは最初のうちは数えてみたが、島は気まぐれにいろいろな物が変化してしまうようで、記録のために木に印をつけたりしても跡形もなく消えてしまう事が日常茶飯事だったため、途中で数えることはできなかった。昼と夜も恐らく長さはバラバラなのではないかとわかばは思っていたが、それを調べる術もなかった。
その日も浜辺で何も釣れない釣りをして遊んでいたりな達とわかばだったが、ふと、りなの誰かが――おそらくりなこだったと思う――何かに気付いて顔を上げた。
「なー……電車が来たのな」
「電車?」
「ななっ?」
「ほんとだ、音がするな」
りな達はその場に道具を置いてバタバタと駅に向かって走り出した。その後をわかばも走って追いかける。波の立たない水面を滑るように電車は島に入ってきて、駅のホームに静かに止まった。
りなとわかばは誰か居ないかと中を外から眺めてみたが、電車の中には誰も乗っていなかった。
「誰も居ないな……」
りなは呟いて、窓から顔を離した。
「……りなさん、僕はこれに乗って行ってみようと思います」
「え……」
りなは驚いてわかばを見上げ、慌ててわかばの服を引っ張った。
「何言ってるんだな? どこに行くかも分からないのに」
「そうですけど……」
わかばは困ったような顔でりなの頭に手を置いた。
「僕、多分ここに長居をしてはいけない、気がしていて」
「な、何でな? 別にりな達は困らないし、それに……」
わかばは静かに首を振った。
「多分、本当はりなさんも……帰らないといけないんだと思います」
「……りなは……ずっとここに居たんだな……。別に帰るも何もないな」
「そうですね。ただ何にしろ僕が先に行った方が良さそうですので。何かあれば戻ってきますし、駄目だったら……」
わかばはふと口をつぐんで首を振った。
「とにかく、まあまずは危険かもしれない場所には大人が行くべきだと思いますので」
わかばはりなを元気づけようとしたのか軽い調子で言って笑い、電車に乗り込んだ。まるで待っていたかのように電車のドアが閉まり、そのまま電車は駅を出た。
「わかば……! まっ……」
ホームの端まで追いかけてみたものの、りなはそれ以上先には進めず、その場に立ち止まった。りなが目で追いかけていると、電車はそのまま島の中央と突っ切って、奥にある暗闇に続く山のトンネルの奥に消えていった。
気がついた時には空は暗くなっていた。りなは何となく山辺の横にある丘に向かい、一人でごろりと横になった。
「正確には一人じゃないけどな」
「でも結局はりなだから一人なのでは?」
「でも数は六人だし」
「りなじどうしたのな、元気ないな」
「わかばが居ないから……とか?」
「何で?」
自分のことなのに何で分からないの?
どのりなが言ったのだろうか、あるいは一人の寝言なのか、りなは驚いて起き上がった。
気がつくとりな達は消えていて一人で丘の上で寝転がっていたようだった。
そんなに長い時間寝ていたつもりはなかったが、気がつくと辺りは明るくなっていて、りなはいつもの日課をこなそうと派鍋に降りた。浜辺に降りたりなは思わず目を疑い呆然と海を見つめた。
昨日まではあった海の水が遙か向こうまで引いてしまっていた。りなは恐る恐る下に降りてみたが、水はどこにも見えず、遙か遠くから波の音のような、低いうなり声が聞こえてくるだけだった。
何かがおかしいのだが、どうすれば良いのかりなには分からなかった。
りなはとりあえず島の真ん中にある駅に向かった。もしかしたらわかばが帰ってきているかもしれないという淡い期待がわずかにあったのかもしれない。しかし、駅のホームには何もなく、向こうから電車が来る様子もなかった。
どうすれば良いのか、考えようと駅のベンチに座ると、突然辺りが真っ暗になった。正確にはうっすら空に星のような灯がちらちら見えたが、明るさに慣れていた目は何も見えず、りなは狼狽えた。
暗さに慣れたところで、りなは立ち上がって駅の向こうにある山を見やった。線路に降りて、わかばが乗っていった電車の向かった山のトンネルの前まで歩き、立ち止まった。不思議なことに暗くなった事でトンネルの中のわずかな灯が見え、少し先が見通せるようになっていた。オレンジの灯を頼りにそっとりなはトンネルに足を踏み入れた。
「は、入るのな? そこ」
「ちょっと待てば元に戻ると思うけどな」
「止めた方が良いんじゃ無いかな」
さっきまで出てこなかったりな達がひょこりと後ろからトンネルの奥を見て口々に呟いた。
「でも、なんか島の様子変だし……」
「それはわかばが色々変なこと言ったからそう思ってるだけでは?」
「海が無くなっちゃったのも別に島の中の物が無くなるのと大して変わらないな」
「空だってちょっと早く暗くなっただけな」
りなじはそうだろうかと考え始めてみたが、やがて首を振って
「でも、やっぱりりなは……私は……」
りなはトンネルの奥に向かって走り出した。同時に後ろから聞いた事も無いような轟音が響き思わず振り返った。まだそんなに遠くないトンネルの入り口から見える景色は想像を絶していた。暗い空に逆巻くような風が吹き荒れ、木々がなぎ倒され、引いていたはずの海の水がとてつもない大波になって島に襲いかかっていた。
それどころか、波はトンネルの中にも入り込んでりなの居る場所まで水を運び込んでいた。
「ま、まずいな……」
りなは慌ててきびすを返して走り出した。荒れ狂う波の轟音が後ろから響き、背中には何度も波頭が当たった。トンネルの先はまるで見えず、暗い中を一人でただ走り続けていた。
ふと、何かにつまずいたのか体のバランスを崩した瞬間、後ろから迫ってきていた水がりなの体を押し流し、そのままりなの意識は暗転した。

こしょ、こしょと耳元で何かが囁いている声がした。
りなは思わず手でそれをぐいっと向こうに押し返そうとすると、妙に弾力のあるぬるっとした物に触れた。
「ななっ!?」
慌てて起き上がると、半透明のマンタのようなものがふわふわとりなの周りを回っていた。
「こしょ……」
マンタは恐らく驚いたのだろうか、ひらひらとどこかに飛んでいってしまい、りなはぽつんと一人残された。
どこだろうと当たりを見渡すと、あの島とは別の、知らない場所に倒れていたようだった。
大きな坂と、その上には大きな鳥居があり、りなの側には線路が走っている。
「あれ……本当だ」
どこからかりなと同じくらいの女の子の声がして、りなは思わず声の方に振り返った。
黒い駅長の帽子にぶかぶかの黒い制服のような物を着た女の子が、困ったような、ビックリしたような顔でりなを見つめていた。後ろにはあの半透明のマンタも居る。
女の子は参ったなーと頬を掻いて独りごちた。
「ここに来るなんて……迷子というか、運が良いというか……うーん、どうしよう」
「こしょーこしょこしょ……?」
「うーん……まあそれしかないよな」
少女はりなの方に向き直って腰に手を当てた。
「君、運が良いよー。ここからなら送ってってあげられるよー」
「送るって……?」
「あー……まあその辺はさ、気にしない気にしない」
ほらこっちー、と少女は手を振って歩き出した。りなはよく分からなかったが少女の後を追いかけた。大きな坂の下にある細い線路の前に来ると、小さな亀が――これもやはり半透明だ――首をかしげるような動作で線路の上から見上げてきた。
「そうそう、迷子。放り出すのはまずいだろ。悪いんだけど送ってってくれる?」
「ぺら」
小さく頷いた亀に、少女は段ボールの箱を乗せた。
「はい、これに乗って」
「だ、大丈夫な……?」
恐る恐る乗ると、一瞬亀が沈み込んでふわりと浮き上がる感触にりなは小さく声を上げた。
「あまり動くと途中で振り落とされて帰れなくなるかもしれないから、しばらくはじっとしててね」
少女はそう言うと、よろしく、と亀に手を振った。
亀はゆっくりとりなを乗せて動き出し、線路を進み始めた。りなは先を見つめて思わず声を上げた。
「ま、前っ!」
何もない虚空を進み始めた亀はそのままふわりと落ちるように急降下した。
りなはそのままもう一度意識を失い、目の前が真っ暗になった。

規則正しい電子音が耳について、りなは体を動かした。
ピッピッと心拍数を計っていた計測器は、安静時の鼓動から音が速くなったことを知らせていた。真っ白な天井と真っ白な壁が目に入り、りなはしばらくここがどこかを考えていた。
モニターでもしていたのだろうか、パタパタと看護師の女性が中に入ってきてりなの様子を見ると、大きな声で先生! と呼んで廊下を走っていった。
「何なの……?」
りなは起き上がって体をゆっくり伸ばして肩を回した。ぼんやりと、学校から帰る途中、道を歩いていた時に後ろから車のクラクションが聞こえた記憶が浮かんできて、りなは体を見渡した。多分あの記憶が一番最後の記憶だろう。そうすると、自分は事故にでも遭って病院でずっと寝ていたいたということだろうか。
白衣を着た医者が部屋に入ってきて、調子はどうか、痛い所はないか聞いてきた。特にないと言うと、準備ができたら改めて精密検査をする事を告げ、家族ももうすぐ来るはずだと言って出て行った。
家族……はもちろん覚えている。
りなはばたっとベッドに身を投げ出して、何か忘れているような――? と首をかしげた。家族、でもなく、友人、でもなく……。
起きる少し前までは覚えていたはずだったが、目が覚めた瞬間から夢と同じようにどこかから零れてしまって、もどかしい気持ちでりなは頭を押さえた。
その後行われた精密検査の結果、肉体の傷はほぼ問題ない事が確認できた。その時にりなは自分が一年近く寝ていたことを知らされた。季節が一巡していたせいで全く気付かなかった。
ただし、医者が首をかしげていたのは頭を強く打っていた訳でもなく、肉体的な傷を差し引いても意識が戻らない状態になってしまった原因が分からず、医者も頭を悩ませていたと言うことを口にした。
一年ずっと寝ていたので、リハビリが必要と判断され、退院はリハビリの状況から判断することになった。
一人である程度歩けるようになると、りなは杖をついて病院の中や、外を少し散歩するようになった。運び込まれた病院はかなり設備が良く、昨日通りかかったエリアでは外に出られない子どもやけが人のストレスの軽減のためにと、かなり新しい仮想現実を体験できる設備も置かれていた。
――今日はどこに行こう。
良い天気だったので、りなはふらりと外に出て病院に隣接する公園に足を伸ばした。杖のつくコツコツという音をリズミカルにうちながら、公園の中に足を踏み入れると、ふと、視界に写った誰かの姿が目を引いた。
寝癖なのか、あるいは地毛なのか判別しがたい好き放題に跳ねた短髪の青年が、一人、つつじの植え込みの側に置かれたベンチに座っていた。
「わ、かば?」
思わず、声が漏れてりなは、ようやっと思い出してきた。
「わかば」
「う、わっ!?」
声をかけられた方は驚いたのか読んでいた本から顔を上げて背後に立つりなに目を向けた。りなは一瞬ひょっとしたら覚えていない――そもそも自分の夢だったのでは? ――という可能性に気付いて、しまったと口元を手で覆った。青年は、りなを見つめるとほっと息をついて
「ああ、りなさんも目を覚ましたんですね」
「な……なぁ?」
りなは思わず息を吐いて、そっとわかばに近寄った。彼は読んでいた本を脇によけ、両手でずるずるとベンチの反対側に少し寄った。植え込みの陰で気付かなかったが、わかばの手の横には松葉杖が立てかけられていた。
「……それは?」
「ああ、お恥ずかしいことに……車を運転していたときに事故ってしまって……骨折で済んで良かったんですけど、頭も打ってしまっていたようでしばらく意識が戻らなかったみたいです」
わかばは手を振って答えた。
「それじゃ、えっと……わかば、あれ、夢じゃないって」
「何となくですが……」
橫に座ったりなの問いかけに、わかばは手に持っていた本をりなに見せた。何かの説明書のようにも見える。
「……ちょっとここの病院に導入されているVRの設備について調べたんですけど……専用のサーバーを立てて、そこでVRのゴーグル――というよりは脳波測定器に近いようですが――をつけたユーザーの脳のパルスを受信してサーバー側にある仮想世界の情報のデータと統合してユーザーに送るような動作をしているようです。よくあるものですし、それで何か人に問題が起きると言うことは無いと思うのですが……」
わかばはパラパラとページをめくりながら
「もし良ければ僕がいなくなった後の話を聞いても良いですか」
りなは思い出せる範囲で、わかばに電車が居なくなってからの話をした。自分がトンネルに入った後、最後に見た不思議な風景の話をすると、わかばは首をかしげて
「僕は電車に乗ってあのトンネルに入って……割とすぐに目が覚めたんですよね。そんな不思議な所には行った記憶が無いです」
少し考え込んだわかばはやがて
「ただ、りなさんが目覚めたのはかなりラッキーだった気がします」
「どうしてな?」
「実は、つい先日の事らしいんですけどVRの設備で問題があったようで設備の点検と、サーバーの入れ替え作業が行われたそうで……」
わかばは辺りを見渡して誰も居ないことを確認するとりなにだけ聞こえるように少し小さな声になり
「実を言うと、業者の人の会話を偶々、立ち聞きしたんですよね。どうやら最初の構築時に問題があったみたいで、ネットワークの接続を誤っていたようです。本来はVR設備の中だけで完結するはずのクローズドなネットワークだったらしいんですが、間違えてケーブルが刺さっていたみたいで、院内のネットワークに繋がっていたと」
「それが?」
「うーん……多分ですけど……、本来はサーバーと人だけだったネットワークのはずが、りなさんが目覚める寸前までは、院内のネットワークに繋がっていた。理屈も理由も謎ですが……その結果脳波測定で受信したデータの一部がサーバーからその先の院内ネットワークのどこかに流れてしまっていたんじゃないかと。流れたデータがどうなって、それがどうして僕らが昏睡状態になったのかは……もっとちゃんと調べないといけないんでしょうが。サーバーが撤去されてしまったようなんですよね」
「ちっとも分からないな」
「僕もよく分からないです。ただ、これ」
わかばが示したのは取扱説明書の中の一ページだった。そこには仮想世界の一例として小高い山と駅がある小さな島が紹介されていた。
それはりながいたあの島とほぼ同じで、りなは食い入るようにページを見つめた。
「どうして僕らだけかは正直分からないですね。調べた感じではこの病院で長い間眠っていたのはりなさんと僕と、他にも数名いらっしゃいました。でもその人達で目が覚めた人で似た体験をした人は居なかったようです」
りなは本をわかばに返して、考え込んだ。
「それこそ、りなさんがこちらに戻ってこれなかった可能性は相当あったと思います。どこにいったん行ってしまったのかは分かりませんが、本当に運が良かったんじゃないでしょうか」
「あの場所はやっぱり天国、とかなのかなー」
「さあ、三途の川や、花畑が見えるというのは元々臨死体験をした人間の証言などから生み出された共有された記憶のような物だそうです。つまり、実際にそんな物は無く、自分が勝手にそういう物だと思って脳が見せている。ただ……、そうすると一番最初にそのイメージを作った人が見た物は何かと言うことになりますよねー」
「その人は本当に見たかもしれないのかナ?」
「その方が夢がありますよね」
わかばは杖を取ってよろけながら、立ち上がろうとした。その体をりなが支える。
「りなさん危ないですよ」
「りなはもう殆ど杖は要らないんだな!」
もう直ったからと、りなが言うとわかばはため息をついて
「はあ、若いって良いですねー」
コツコツと杖をついて歩き始めるわかばの橫を並び、りなはわかばの腕を取って一緒に歩き出した。